Queel
×
サイト内を検索する
  • 格闘技
  • インタビュー

「K-1のMMA進出と、最大の失敗『Dynamite!! USA』の舞台裏」 谷川貞治ロングインタビュー第3回

2018/01/06 14:06

ブロック・レスナーの画像クレジット: By Miguel Discart [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons

元K-1プロデューサー、谷川貞治へのロングインタビューシリーズだ。第3回はK-1がMMAに本格進出し、2006年に旗揚げされたHERO'S、そしてK-1史上最大の失敗に終わったDynamite!!USAの舞台裏を中心に秘話を明かしてもらった。

谷川貞治ロングインタビュー第3弾

K-1といえば1993年に旗揚げされ、瞬く間に日本中を巻き込む関心事となり、世界の格闘技シーンにおいても今なお語り継がれている。

クイールのリニューアル企画の目玉コンテンツとして、今回は元K-1プロデューサーとして辣腕を振るってきた谷川貞治氏にロングインタビューを敢行した。

ロングインタビューは全4回に及ぶものとなっており、第1回には「K-1の立ち上げとマイク・タイソン契約の舞台裏」、第2回には「曙vsサップ実現の舞台裏」を中心に知られざる秘話を明かしてもらった。

そして今回の第3回では、2005年からK-1がHERO'Sを立ち上げてMMAに本格進出し、2007年にアメリカで大々的に行われた『Dynamite!! USA』の舞台裏に迫った。時代背景としてはこの辺りから格闘技が世間の求心力を失い始め、アメリカではUFCが勃興するようになっている。

K-1のMMA進出とDynamite!! USAの舞台裏

ーーこれまでK-1旗揚げからの話をお聞かせ頂きましたが、少しMMA部門についても聞かせてください。K-1のMMA部門といえば2005年から始まったHERO'Sですよね。その前はロマネックスがありましたはなぜK-1はMMA部門を始めることになったのでしょうか。

(※編集注: K-1ロマネックスは2004年に立ち技団体のK-1がMMA専門興行として開催した。須藤元気がホイラー・グレイシーをKOしたほか、メインでは藤田和之がボブ・サップからKO勝利を収めている。)

谷川 あれはK-1とPRIDEが喧嘩になったのが原因で、もともとは石井館長の中にK-1とMMAとプロレスをやりたいという意志はあったんですよ。理想としてはその三冠王をとりたいという。

だからWRESTLE-1(※K-1や新日本プロレスによって開催されたプロレス興行)とかも始めたんだけど。

でもその思いとは別に、大晦日をTBSでやるのにどうしてもMMAをやらざるを得えなかったんですよ。だからK-1のグランプリは最高のものを12月にやっているから、ヘビー級の選手が使えない。

じゃあ、MAXを大晦日にやるかって言われたらそれは違う。お茶の間に届くのは魔裟斗だけだし。

だから最初考えたのが、K-1でもMAXでもない「猪木軍vsK-1」だったんですよ。それがPRIDEと喧嘩になってしまって、じゃあ自分たちでMMAをやらないと選手も確保できないし。

年間1回のためだけにPRIDEに出てる選手がダイナマイトに出るわけがないから。

ーーK-1ロマネックスからHERO’Sというブランドを立ち上げた経緯は何があったのでしょう?

谷川 最初は猪木さんにやってもらおうという思いがあったんだけど、それができなくて。K-1 ロマネックスって「猪木軍vsK-1」の延長なんですよ。「K-1ファイターvsプロレスラー」みたいな構図。でも、まあお金もかかるしめんどくさいし。猪木軍といっても小川(直也)が出てくるわけでもなく、藤田選手一人でこれは続かないなって。

それで何か他の手を考えているときに、MMA版のMAXをやろうってなったのがHERO’Sですね。

その前に「KID vs 魔裟斗」をやって物凄くハネたじゃないですか。だからKIDの為の大会をやりたいなって。(※2004年の大晦日に行われた魔裟斗vsKIDは瞬間最高視聴率31.6%を記録)

これはもう全部ヘビー級は捨てようって思いました。

ーーHERO'Sでは70kgはKID選手で、もう一つの軸で85kgの秋山選手がいました。

谷川 そうですね。70kg級と85kg級くらいでやろうって。そうしたらヘビー級のPRIDEとも差別化できるし、MAXをやり慣れてるのでTBSも軽量級の扱いは得意だから。MAXの選手とも交流しやすいし。

それで僕はキャラクターのある選手ばかりを集めたという。別にKIDとか(須藤)元気とか、宇野くんとか所くんとか高谷くんとか。僕は初年度のトーナメントは凄く良かったと思うよ。

(所英男はHERO'S初戦で優勝候補を破る番狂わせを演じて、一夜にしてヒーローとなった。)

ーー正直なところ、当時の流れでMMAをやると聞いた時には色物が増えると思いましたが、正統派のスターが誕生しましたね。

谷川 僕は本当に初年度のトーナメントは良いメンバーが集められたなと思います。MMAの中量級のトーナメントでは一番良かったと思うよ。

ーー次の年はギルバート・メレンデスが出るかもって話もありましたよね。凄くガチな選手が多かったです。

谷川 そうそう。そこはPRIDEに引きずられたのが大きかったと思うんですけど。

ーー85kgも秋山選手がエースで、途中に桜庭選手が来たのも衝撃的でした。あれは谷川さんと桜庭選手の関係がPRIDE時代にあったからなんですか?

谷川 もちろんPRIDE時代から交流があって、色々と揉めていたという噂があったので。だからあの時は1週間くらい毎日サクちゃんの家に行って口説いてましたね。

ーー当時はPRIDEの93kgで活躍していた桜庭選手が85kgに落としたら世界最強なのではという幻想もありましたよね。

谷川 PRIDEとかUFCと僕の差って、こんなこと違うよって言われるかもしれないけど、彼らは格闘技を格闘技として潰し合いのマッチメークしかしないから。

サクちゃんのマッチメークなんか見てられなかった。僕はあんなことさせないですもん。UFCもそうだけど、RIZINを批判してるわけじゃないけど、僕は山本美憂選手やアーセン選手をあんな使い方しないですよ。

絶対やらないですね。負けても光るような試合をしますよ。

ーー秋山選手はそれで凄く成長しましたよね。

谷川 秋山くんも最初から強い奴とやったらあそこまではいかなかった。今の菊野くんと小見川選手もそうなんだけど、何の為にやってるかというと彼らを持ち上げるためにやってるんだったら、弱い相手を当てるのではなく、彼らが輝くようなマッチメークをしないと。

小見川くんだって菊野くんだって絶対に活きるはずだからね。PRIDEとかDEEPに出てるときに見ていて、面白い選手がいるなって思ったもん。HERO’Sが続いていたら絶対に参戦させたかったもん。

僕が出していた人とは毛色が違うから。

ーーここからちょっとネガティブなお話になってしまうんですけど、2006年から急激に視聴率が落ちましたよね。格闘技界全体としてそうだったんですが、それはどうしてだったのでしょうか?

谷川 一つはみんなが刺激ばっかりを求めてそれがマンネリ化してしまったこと。あとはその頃から財政が厳しくなってきて、僕がプロモーションの仕事を段々できなくなってきて、それで年間30大会くらいやっていたから。

もう粗いですよね。マッチメークも。興行の数だけ増えて世界中でやっていたから。オランダ行ったり香港行ったり。一つ一つの計画性がなくなってきちゃった。

ーー財政というのはファイトマネーの上昇などがあったのでしょうか?

谷川 そうですね。他にも色々と理由があって。後は選手の入れ替わりなどで徐々に変わっていかなければいけないというのがありました。

ーーそんな時期にDynamite!! USAというイベントもありましたよね。あれはやはり失敗だったのでしょうか?

谷川 僕の中では大失敗だったな。そもそもやろうとしたことが何も出来なかった。

ーーでもブロック・レスナーのデビュー戦があったり、ジョニー・モートンが出たり凄かったですよね。会場も特大でしたし。あれはどういう経緯で開催されたんですか?

(Dynamite!! USAにはWWEスターのレスナーや、NFLで大活躍したジョニー・モートンのデビュー戦など飛び道具は多数あったが…。クレジット: By Miguel Discart [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons)

谷川 ちょうどUFCが上がってきたからですね。本当はあの2年前くらいにやらなくちゃいけなくて、すでに手遅れという感覚もあったんですけど。これはUFCが絶対に天下をとるなという危機感ですね。

ーー2006年くらいからUFCが一気に来ましたよね。

谷川 そう。あれも僕らがホイス・グレイシーを貸したんだからね。あのマット・ヒューズの試合からPPVが凄く良くなったから。ちょっと敵に塩を送りすぎちゃった。

もう一緒にやっていくか、どこかで対抗していかないと、格闘技はK-1からUFCの時代になるなっていう思いがあって。

あとは、あの大会をやるためにソフトバンクの孫さんがお金を出してくれたんです。だから僕ら的には痛みはないです。孫さんが凄く出してくれましたよ。

ーーソフトバンクは冠スポンサーでしたよね。それとYahoo!にK-1の試合が配信されていたのも覚えています。

谷川 孫さんが凄く応援してくれたので。でもできなかったですね。興行に行くスタートラインまで前日までたどり着けなかった。

チェ・ホンマンが駄目になっちゃうとか。桜庭も3日前まで出れるかわからなかったですからね。(※当初はチェ・ホンマンがブロック・レスナーと対戦予定だった)

僕の戦略としては初めてアメリカでMMAをやる上で、とにかくプロレスファンを巻き込むことで、それはブロック・レスナーを起用して。

あとはアメリカは韓国マーケットが凄くデカいんですよ。花屋さんとかみんな韓国人で人口が多いんです。だからそのコミニティを狙ってCJメディアという韓国のテレビ局が全面協力をしてくれて、何万人もの人を集めるって言ったので、そのためのチェ・ホンマンだった。

(当時のチェ・ホンマンはMMAでの幻想もあり、キャリアの面でもレスナーの相手には最適だったが、メディカルチェックにより出場できなくなってしまった。クレジット: 67microbus at the Wikipedia [CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons)

それでホンマンとレスナーだったら体格も経験も釣り合いがとれるので、あとはMMAの伝説である桜庭とホイスの再戦。それからあとはアメフトの選手を出したりとか、日本でやっているようなダイナマイト的な仕掛けで作ってたんですけど、まあ、出す選手出す選手、全然駄目で。アスレチックコミッションでは通らない。

あとね、ファイトマネーはアメリカだとエスクローという銀行に預けなきゃいけないんですよ。アスレチックコミッションに。そうしないと大会を開催したきりファイトマネーを払わずに逃げるプロモーターがいるということで。そういう規則も厳しいんですが、「ええ!?先払い?」って。

またテレビ局とも揉めたんですよね。アメリカではShowtimeと組んだんですけど、こっちがお金を払う割に、こっちが作るものを全部拒否してきて。TBSのメンバーが作ったものを「こんなもの流せるか」って。じゃあ何を作ればいいのって?

それで言われるように作ったら「最初のほうが面白かった」って。1回目や2回目の煽り番組を買ってたんですけどそれが放送できない。もう大喧嘩ですよ。

当日まで桜庭vsホイスもあんなルールでしかできないし、ユン・ドンシグも桜庭もテーピングを許してもらえなかった。しかも控え室にはバナナと水しか置けないし、僕らも入れない。揉めてて状況も分からないし。

しかも当日は途中で車が大渋滞して、開始時間に間に合わないから桜庭もブロック・レスナーも会場まで1キロくらい歩いたんじゃないかな。

「ごめんね。間に合うかなあ」とか言いながら。本当に酷かったです。今までで一番大変な大会の一つでした。

ーーそれは大変でしたね…。ここから全く話が変わりますが、後期K-1の特徴としてAKBとかももクロといった、アイドルがハーフタイムショーをするようになりましたよね。あれはどういう経緯だったんですか?

(2009年にはブレイクし始めていたAKBがK-1でハーフタイムショーを行ったのは今考えると凄いことだ。クレジット: By kndynt2099 [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons)

谷川 AKBがそんなに売れてなかった頃に石井館長に頼まれたからです。そしてそれを見たももクロチームから頼まれたんですよ。ももクロはK-1の映像をやってくれていた方が関わっていたので。

ーー当時はブレイク前だったので格闘技ファンからは白い目で見られましたが、今考えると凄いですね。

谷川 そうですね。K-1は色々とそういうのが一杯ありますよ。もうやり尽くした20年間です。

ーー最もやっていて面白かったのはいつ頃だったのでしょう?

谷川 やっぱり「曙vsボブ・サップ」の時期(※2003年)かな。苦しい中でなんとかしようと。タイソンも上げたし、国立競技場で開催したり、凄く思い出には残っていますね。

ーーK-1でセーム・シュルトが不人気王者とも言われていたころはどう感じていたんですか?

谷川 う〜ん。みんなから「引っ込める?」とも言われたんですが最後まで引っ込めなかったですね。その辺は僕の人の良さなのでしょうね。

ーーメディアもいかに引きずり下ろすかって流れでしたよね。これからはK-1はやめてMMAに専念するって話も途中出たり。

谷川 かわいそうでしたよね。でもホーストはボブ・サップで活きたじゃないですか。だからシュルトも何とかならないかなっていう意地もあったかもしれないですね。

でもやっぱりセーム・シュルトvsバダ・ハリとか、アリスターvsシュルトとか見たかったですね。やってみたかった。

ーー2009年の大会でバダ・ハリが優勝していたら歴史的な大会だったんですけどね。

谷川 そうですね。期待はしていたんですが。

ーー最後の方のK-1も凄く面白かったですよね。視聴率も悪くなかったはずです。

谷川 そうですよ。15%〜16%くらいで。試合も良かったですよね。2009年のグランプリはKO連発で全部で1時間かからなかったんじゃないかな。凄く面白かった。

ーーただ会場は年々空席が目立つようになってましたね。

谷川 そうですね。正直なところ興行をやりすぎですよ。JAPANは途中でなくなったけど、MAXとMMAがあって、めちゃくちゃチケット代も高いじゃないですか。毎回はいけないですよね。

構造上の限界ですよ。これは続かないものだからなんとかしないとなと思ってました。

(第4回 「"大連立"やれんのかの舞台裏、魔裟斗引退」に続く)

クイール編集部 ◯文 text by Queel
クイールをフォローして
最新情報をチェック!
最新の格闘技ニュースをお届けします

この記事へのコメント()

Missing avatar
匿名ユーザー
2018/01/06 14:31

ダイナマイトUSA懐かしいな。確か名目の来場者数が5万4000人で当時の新記録だったけど、有料入場者は3000人くらいだった気がする。何でやったんだろうと思っていたけど、UFCへの対応意識から来てたのか。

ただあそこで成功してもK-1が長続きしていたかというと、なかなかそうは思えない。この時代から日本の格闘技人気の低下は凄まじかった。

Yu5vhm2x
大澤 辰郎
2018/01/06 15:54

シュルトを引っ込めなかったのは良かった。だって可哀想。。。ただ彼はデカイ上に強かっただけだから。
これらを経て、細かい階級分けK-1甲子園で競技人口増やし安定的に伸びてほしい。かつての旧K-1みたいに中国でキックの人気が出て普及し始めてる。?

イッツショータイムかな?バダ・ハリがシュルトを秒殺したのは。YouTubeで見ましたね。

Missing avatar
匿名
2018/01/06 16:10

※魔裟斗選手の徹底プロテクト について、ぶっちゃけた(実はこうだった..みたいな)真相、事情とかを、ずっと見続け、観に行き続けた者として、ここらで凄く聞きたいと思います。

魔裟斗選手には不得意なことはさせず、逆に他ジャンルのアスリート、他ジャンルの格闘家にキックボクシングルールをさせてキックボクシングさせたら、魔裟斗選手が有利に決まってて、けだ一般の人達は、単純に魔裟斗選手が強いように映る訳で、まるで 魔裟斗選手にかぎっては、とくに、まるでアイドルを引き立てるようなマッチメークが多かったのは、そういう意図があったのか否か、ミルコがK-1時代にことごとくミルコよりなジャッジが多かったように感じられ、それを唱える世論もあったけれど、実際はどうだったのか・・とか、是非ともお聞きしてみたいところです

Aolodwlc
シゲチー
2018/01/06 18:20

興行のやりすぎとそれについていけない団体の体力とか興味深いです。巨大な帝国の終焉のパターン。現在世界最大のMMA団体UFCも所属選手を削ったりいろいろと調整しています。ただ闇雲に所属選手や大会数を増やすのではなく、利益と天秤にかけながらやってくしかないんですね。

Missing avatar
a
2018/01/07 03:53

k-1のチケットは確かに高かったな。
その分、今公演している巌流島は1番高いチケットでも1万だもんな。

Missing avatar
b
2018/01/08 12:17

>>サクちゃんのマッチメークなんか見てられなかった。僕はあんなことさせないですもん。

桜庭・秋山の試合は、両方潰してPRIDE以上の完全な失敗マッチメイクだったような…

関連する記事