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33歳、川村英樹による、日本初の単身ミャンマーラウェイ挑戦の一部始終

2018/01/19 19:16

2017年11月、川村英樹はセコンドを帯同させずに単身ラウェイの本場、ミャンマーに乗り込み試合を行った。なぜ川村は33歳にして単身ラウェイへの初挑戦を敢行したのか。ラウェイに魅了されたという川村にその一部始終を語ってもらった。

2017年11月2日、33歳の川村英樹は人知れず本場ミャンマーでラウェイ挑戦を行った。

ミャンマーの国技であるラウェイといえば、「地上で最も過激な競技」と呼ばれる。それはグローブを装着せずに文字通り拳で殴り合い、蹴りのほかに肘打ち、そして頭突きが許されたルールであることが要因だ。さらに判定決着はなく、KOかドロー決着のみというのも大きな特徴だ。

ラウェイには昨年大晦日にRIZINに参戦した浜本"キャット"雄大、本場ミャンマーで輝かしい実績を収めた金子大輝ら、日本からも有力な選手が生まれているが、その過激なルールに加えて、金銭的な事情も相まってラウェイに挑戦する選手はまだまだ少ない。

(膝蹴りを打ち込む川村(画像右))

そんな中、単身ラウェイに挑戦した川村だが、学生時代から格闘技に取り組んできたものの、日本ではプロの試合には出場していない。これまでにラウェイの試合を経験したこともなければ、数年前に草ムエタイに出場したというだけの状態で臨んだ初めてのラウェイはKO負けに終わった。

しかし今の川村はラウェイに没頭し、再び現地ミャンマーでの試合機会を伺っている。危険すぎるがゆえに打撃のエキスパートですら参戦を敬遠するラウェイに、川村はなぜこうも魅了されたのだろうか。

陸上の挫折から始めた格闘技

川村は小学生から大学生まで陸上に取り組み、大学では箱根駅伝を目指して長距離に取り組んでいたが、途中で挫折してしまう。当時のことを「やさぐれていた」と語る川村だが、ボクシング部の友人に誘われて、アマチュアボクシングを初めたのが格闘技への出会いだった。

その後は都内のキックボクシングジムに入門し、プロライセンスを獲得したものの、仕事の都合なども重なって、現在まで日本ではプロ格闘技の試合には出場していない。

また一度キックボクシングから離れた後には、ウエイトトレーニングにのめりこんでボディビルに取り組んだこともあった。ボディビルの大会では初年度から2位に選ばれたこともあり、これが格闘技でのフィジカルの強さとして生きているという。

(ボディビルでの模様。左から二番目が川村。)

もともと父親がタイで働いていたこともあり、キックボクシングよりもムエタイに興味があったという川村は、タイ人選手から首相撲の技術を教わっていただけでなく、タイで武者修行を敢行したこともある。そこで出場した、いわゆる「草ムエタイ」の試合が川村にとって唯一のムエタイでの試合経験だという。

30才を越えた川村だが、練習を続けて技術や肉体的に成長したのを感じていても、精神面で自分の殻を破れていないと感じ、やがてラウェイに挑戦したいと思い立つようになる。

「ラウェイが精神的に一番強くなる競技だと思った。ラウェイはムエタイのように技術だけで相手を翻弄することもできない。だからこそラウェイを選択しました。お金も全然もらえないし、挑戦する人がほとんどいない競技だけど、あえて本場で挑戦してみたかったんです。」

急な試合変更から単身ミャンマーに乗り込むことに

かねてよりラウェイ挑戦をしたいと公言していた川村だったが、様々な事情もあり日本人がミャンマーで試合をする機会はなかなか与えられない。それでもあるコーディネーターを通じて、2017年10月末にラウェイでの初の試合が決定することになる。

しかし大会の2週間前になって急遽その大会はスポンサーがつかなかったことを理由に中止されてしまう。代わりに、3日後に遠く離れた田舎のタウングーという地でタイとミャンマーの対抗戦が行われるということで、その中に川村の試合も組み入れられることになった。

当初は日本からセコンドを帯同する予定だったが、急な日程変更から帯同できなくなり、また試合も通常体重より重い75kg以上のクラスとなってしまった。それでも川村は「どうせ挑戦するのだからどんな条件でもやる」との覚悟で出場を決めた。

ミャンマーで試合をしたことのある日本人自体がさほど多いわけではないが、それでもセコンドを帯同せずに日本から単身ミャンマーに乗り込んだのは川村が初めてのことだ。現地の言葉も当然分からず、Wi-Fiがつながる場所を見つけてはスマホの翻訳アプリで何とか意思疎通を取りながら試合までの準備を進めていくことになった。

経済的にも医療も発展していないミャンマーだけに、試合で重傷を負った選手は隣国のタイまで車で運ばれることになるが、道路も舗装されておらず、いざとなればそれこそ身の保証は一切ない。単身乗り込んだ川村は「死んでしまっても良い」という覚悟で試合に臨むことになる。

ちなみにラウェイはミャンマーの国技ということもあり、田舎での開催ながら、町に繰り出した時には川村の顔がプリントされた看板を良く目にしたという。

また現地の平均月収も1万円前後という中、ラウェイ初参戦のファイトマネーは3万〜4万円と現地の物価水準に合わせればなかなかに高い。観客の熱もあり、2000人~3000人収容の会場が満員になったほか、日本から来た川村には物珍しさから試合前に何度も繰り返し写真をねだられたという。

アウェーの外国人選手に対しても敵愾心を向けることなく歓迎するのがミャンマーの観客の特徴のようで、先日紹介した金子大輝はそれゆえに地元のスター選手をKOで破ったことで現地ファンが多く生まれている。

恐怖と向き合いながらの初めてのリング

試合経験のない川村が単身ミャンマーに乗り込むと聞くと、怖いもの知らずの強心臓のように思われるが、川村は自分のことを「臆病で緊張しい」と話す。練習の時から緊張を想定して準備を進めていたが、前日計量の時点で思うところがあったようだ。

「前日計量から向かい合って、相手が睨んできて鬼気迫るものがあった。ライオンに睨まれているようだった。ただ半年も1年も待ちわびていたことなのでとうとう来たなと思いました。」

格闘技に限らず、どのスポーツでも試合でパフォーマンスを発揮するには、実践経験を積んで試合勘を得る必要がある。しかし川村はラウェイの挑戦が初めてというだけでなく、数年前に草ムエタイに出場したきりということで、平常心で試合に臨むことはできなかった。

「緊張してるな、ヤバイなと自分で思いながら、リングに上った時には心拍数が高くなっているのを自分で感じました。」

対戦相手のソーマウン・ウーは若干18才ながら、前年度の地区大会で優勝している強豪で、重量級選手らしく、1Rから大振りのパンチをブンブンと振るってくる倒し屋だ。

陣営の作戦は相手の攻撃に付き合わずに蹴りで距離を取り、最終ラウンドに攻める予定だったが、初めての試合で相手のパンチ力や頭突きの威力が測れなかったこと、そして自分のやるべきことを発揮しようと思うがあまり、当初の作戦通りに試合は運べなかった。

首相撲を強みとする川村だが、試合経験の少なさもあって1Rから飛ばしすぎてしまう。序盤は緊張から相手のパンチは見えなかったものの、それでも徐々に平静を取り戻して相手のパンチを見切るようになると、試合を押し気味に進めることに成功する。

しかし2Rに対戦相手の強烈なパンチを顔面にもらってダウンを喫してしまう。ラウェイには2分間の休憩が与えられる「スペシャルレスト」を1度行使することができ、ここでスペシャルレストを使用するが、試合続行不可能と判断されてしまった。

こうして川村の初めてのラウェイ挑戦は2RKO負けに終わっている。

敗戦を喫するがラウェイに魅了される

ラウェイには判定がなく、KO決着かドローのみで、いかに劣勢でも試合終了を迎えれば引き分けに持ち込むことができる。しかし「ラウェイはメンタルのスポーツ」と呼ばれるように、KO負けを喫する選手はダメージ以前に心を折られてしまうことが多いという。

川村も2Rに脳のダメージで倒されたものの、闘争心があればまだ続けることができたが、止められてしまったのは心を折られてしまったからだと話す。

「引き分けでも良かったのに心が折れてしまった。まだ戦えたのにやれなかったのが悔しかったけど、その時には生きて帰りたいと思ってしまった。『自分は死ぬ気でやってくるんだ』と乗り込んだのに、実際に蓋をあけたら『このままだと死ぬ』と思ってしまったのかもしれない。」

"これが最後のつもり"として臨んだ試合は悔いが残る敗戦となったが、それでも試合を通じて川村はラウェイに魅了されていった。

「ラウェイに出て、命をかけた挑戦したことで自信を得た。負けてしまったけど、命がけでやったことで、臆病な自分の殻を破れて精神的に成長できたと思います。」

「試合をしてみてラウェイに魅了された自分がいる。ラウェイの相手に敬意を払う部分、心の強さを見せるという部分に魅了されました。これからはラウェイで勝って現地で評価されたいし、ゆくゆくは日本ではなく、現地のベルトを取りたいです。」

挑戦する大切さを伝えたい

試合を通じて得たのは自分への自信だけではなく、周りの目も確かに変わったという。

「試合を経て周りの目は変わりましたね。何も言わずに行ったんですけど、周りはやらないだろうと思っていたはずです。同じ競技者よりもそれ以外の一般の人から感動したと言ってくれました。」

幼少期から取り組んできた陸上競技でも目標は達成できず、格闘技でも華々しいキャリアを歩んできたわけではない。それでも33歳になってラウェイを経験することで確かに殻を一枚破ることができた。

「臆病者でも年齢や環境を言い訳にせず挑戦することができました。自分を着飾らないでありのままやる、挑戦する大切さを伝えていければと思っています。」

「自分はエリートでもないし、トップになれるようなキャリアは歩んでいない。自分に才能はないとは思うけど、これからも挑戦は続けていきます。」

川村の元には、試合後すぐに再戦の打診があったという。敗れた相手へのリベンジの機会を伺いつつ、川村のラウェイ挑戦はこれからも続く。

クイール編集部 ◯文 text by Queel
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この記事へのコメント()

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豪腕ユンボ
2018/01/19 20:47

ミャンマーに単身で乗り込むとか破天荒すぎる…
なぜ発展途上国とも言え、お金にならないければ注目もされず、競技自体の危険性に加え、何かあったときに医療も発達していないラウェイを選択したのか。
なんかディスカバリーチャンネルのドキュメンタリーみたいだ。

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白帯王
2018/01/19 22:29

あれ、単身のラウェイ挑戦は、昔無門会の江口氏と素手の試合興行で戦った、馳晩成氏が先では?

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2018/01/20 12:47

川村、江口、馳。後楽園ホールで聞いても全員のことを知ってる人はいなさそう。

ラウェイはニッチを極めた修羅の世界や。

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tttthe.human
2018/02/04 08:00

公式な試合に出場したのは川村選手が初です。ネットでライブ中継もされてましたしね

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