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大連立"やれんのか"からDREAMの旗揚げ、そして旧K-1末期に何が起こっていた? 谷川貞治ロングインタビュー 最終回

2018/01/27 14:13

谷川貞治ロングインタビュー最終回

K-1といえば1993年に旗揚げされ、瞬く間に日本中を巻き込む関心事となり、世界の格闘技シーンにおいても今なお語り継がれている。

クイールのリニューアル企画の目玉コンテンツとして、今回は元K-1プロデューサーとして辣腕を振るってきた谷川貞治氏にロングインタビューを敢行した。

ロングインタビューでは第1回には「K-1の立ち上げとマイク・タイソン契約の舞台裏」、第2回には「曙vs.サップ実現の真相」、第3回には「K-1によるMMA進出とDynamite!!USAの開催」を中心に知られざる秘話を明かしてもらった。

そして最終回となる今回は、日本格闘技が一時代の終焉を迎えることになる旧K-1の末期時代を中心に話を伺った。2007年に大連立として『やれんのか』が開催され、翌年にDREAMが旗揚げされるも、格闘技人気の低下は続くことになり、やがてDREMやK-1も活動休止を迎えることになった。

大連立"やれんのか"から、K-1末期に何が起きていたか

ーーK-1 WORLD MAXについてお聞きしたいと思います。まずK-1 MAXとヘビー級はどういった棲み分けで始まったのですか?

谷川「TBSで放送を始めるにあたり(※ヘビー級はフジテレビで中継していた)、TBSのコンテンツを作らなければいけないとなって、それなら魔裟斗がいるミドル級でやろうって話でしたね。」

ーー小比類巻さんと二大エースという形で見ていましたが、魔裟斗さんが中心だったんですね

谷川「最初から魔裟斗を中心に対立概念を作っていこうということになっていて、小比類巻や須藤元気がいて。あと最初は村浜だったりもいましたね。

チャンピオンを集めるというよりも、対立概念を作れるキャラクターを持ってる選手を入れて。あとはいわゆる『モンスター路線』をMAXでもやりたいという思いがあったんですよ。

そこから1年目は元気を入れて、2年目は武田幸三、3年目にKIDみたいな。KIDのときは本当にハマったな〜と思いました。素晴らしい選手だと。」

ーーKID選手は60kg級前後が適正だと思うんですが、70kgで戦ってましたもんね。

谷川「凄いよね。70kgでもバンバン外国人を倒していたし。」

ーーKID選手は2004年の2月にK-1初参戦となって、その年の大晦日には魔裟斗選手対戦しました。凄い勢いでしたね。

谷川「いい流れだったよね。あの試合の後でKIDは凄くブレイクした。来てましたよ。

そういう意味ではボブ・サップみたいに長くやって専門家に負けてしまうのがかわいそうだったので、KIDが輝くMMAの舞台を用意することになったんですよ。」

ーー70kgでやることにKID選手は難色を示さなかったんですか?

谷川「そこは全然なかったんです。話を持ってくれたのがエンセンさんだったんだけど、そんな話はまったくなかった。」

ーーちなみに谷川さんがMAXとヘビーはどちらが好きだったんですか?

谷川「どっちも好きですよ。でも格闘技としてヘビーのほうが大事だとは思ってたかな。やっぱりみんな怪物が好きじゃないですか。」

ーー話は変わりますが、K-1の末期となる2009年あたりについてお聞きしていきます。個人的には最高潮は魔裟斗vs川尻達也の試合だと思っていて、あれは凄く盛り上がりましたよね。

谷川「そうですね。武道館が超満員になった。あれはチケットが売れるのが早かったなあ。MAXは魔裟斗vsKIDの後くらいと、魔裟斗vs川尻のころが凄く盛り上がりました。」

ーー魔裟斗vs川尻は組むのが大変だったことはありましたか?

谷川「いや、そんなことはなかった。旧PRIDE軍団と仲も良かったので、お互いに美味しさをわかっていた。川尻くんはその前の大晦日で武田幸三に良い勝ち方をしたので、緊張感からこれは来年魔裟斗とやろうって。

魔裟斗の対応も良かったですよね。記者会見とかから。頭を丸めて『K-1をナメてるのか』って。」

ーー視聴率も良かったですよね。

谷川「あれは花開きましたよね。魔裟斗vs川尻の試合は、ドラゴとかMAXの選手が通路でみんな応援していた。」

ーーニキー・ホルツケンとかあんまりK-1色を感じない選手も応援してました。

谷川「みんな応援してましたもんね。入場口くらいに固まって。でもあれは川尻くんが偉いですよ。相手の土俵でよくやったと思います。」

ーーそこから魔裟斗選手は引退することになって、最初はペトロシアンとやるって話だったじゃないですか。でもペトロシアンの怪我でサワーになった。そこはファンの中でもサワーで逆に良かったという声もありました。

谷川「あれは本当にペトロシアンが怪我したんだよね。あれは魔裟斗の運だと思う。」

(K-1 MAXに颯爽と現れ、無敵の強さを誇ったジョルジオ・ペトロシアン。クレジット: [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons)

ーーあれをやっていたら厳しかったかもしれないですよね。

谷川「厳しかったかもしれないね。あとペトロシアンは相手の良さを殺す選手なんですよ。

魔裟斗をボコボコにしてくれるんだったらいいけど、そういう選手じゃないから盛り上がり的にも厳しかったと思う。それが偶然サワーになって。」

ーーあの大会はさいたまスーパーアリーナがフルバージョンで一杯になりましたよね。あれが日本格闘技最後のフルバーバージョンですよね。

谷川「あれは本当に良かった。『戦極 vs. DREAM』という余計なものをやらなくちゃいけなかったけど。」

ーーええ!あれは余計だったと見ていたんですか?

谷川「あれは疲れましたよ。戦極の決まっていた大会をキャンセルするのにいくら負担しなきゃいけないとか。マッチメークとかも一つ一つがこうじゃないといけないとか。TBSが『吉田 vs. 石井』を持ってきたくて、そのためにやることになったんですよ。」

ーー本当に乗り気ではなかったんですね。

谷川「良い形でやれるんならいいんだけど、そうなるとは思えなかったから。面白い試合もあったんだけど。でも試合中も色々と揉めていて疲れました。だから何試合か解説をやってないんですよね。裏で揉めていたから。

K-1甲子園とか見てないんじゃないかな。なんか吉田vs石井がこんなルールじゃやらないとかで。」

ーーえ?大会中にですか?

谷川「大会直前だったかな。そんなの今言うかって。なんか踏みつけありとかサッカーボールキックありだとかの話で。

要は戦極チームもDREAMチームも現場としてはやりたくなかったんですよ。自分たちの興行が潰されて、なんでここでやらなきゃいけないかと。それぞれがイチャモンですよね。DREAMも戦極も本当は組みたくないという思いがあった。」

ーー時系列は戻りますが、やれんのかのK-1とPRIDEの大連立は凄かったですよね。あの頃はファンの間で谷川さんの株がストップ高になっていました。

谷川「僕はあんまりこだわってないから。よくプロレスなんかはアングルなのかもしれないけどずっと尾を引くじゃないですか。僕はああいう感覚がないんですよ。PRIDEを恨んだこともないし。

榊原さんに対しても嫌な思いはなんにもないし、PRIDEがなくなるんなら組みたいとも思っていました。」

ーーあれはどういう経緯だったんですか?

谷川「PRIDEがUFCに買収されて、UFCの日本版が始まるって話だったんですけど全然立ち上がらなかったんですよ。

あ、その前に、僕はPRIDEと喧嘩状態だったんだけど、PRIDEの最後の方に榊原さんが電話をかけてきたんですよ。その理由は桜庭を貸してくれって。『本人はどう言ってるの?』と聞いたら、『桜庭はいいですよ』と言っていて、『それなら全然いいですよ』と。そうやって会話が復活したんですよ。

それでPRIDEが終わったときに、『また一緒にやりませんか?』と話をしたら、榊原さんが『UFCとの契約があるからその話はできない』と言われたんだけど、PRIDEに関わっていた人とは話せた。

あとその頃はちょうど戦極ができる時期だったんですよ。PRIDEの人たちとしては、そこにPRIDEの後継団体を譲れないという気持ちがあったと思います。」

ーーそうだったんですね。それで実現したやれんのかは伝説の興行でした。

(日本格闘技界の先が見えない中、2007年大晦日に行われた『やれんのか』は伝説的な興行になった)

谷川「僕はPRIDEと5年間くらいずっと戦っていたけど、視聴率とかでも1回も負けた気持ちになったことはないんですよ。大晦日でも。

でもあの時は初めて完敗したなって感じました。大阪ドームとは盛り上がりが違うんだもん。会場の空気が全然違うから。」

ーー自分は実はその日大阪ドームにいたんですが、Dynamite!!はあまり盛り上がらなくて、その後にスクリーンで放送された『やれんのか』のほうが歓声が凄かったです。

谷川「チャ・ホンマンvsヒョードルも盛り上がったし、三崎vs秋山も本当に良かった。

僕は煽りVの秋山の扱いで佐藤大輔にメチャメチャ怒っていて、秋山に対する感情移入が凄く入っていたから。『この野郎、こんなに悪者にしやがって』って。それで余計面白かったですね。」

ーーその日の煽りでは谷川さんも出演されていて「にゃあ」って言ってましたよね。あれはどういう…

谷川「佐藤大輔がちょっとカメラ持ってきて『それやって貰えませんか』って言ってきただけだよ。佐藤大輔に騙されただけです。何に使うかとかも全然聞いてなくて。

佐藤大輔ってそういう意地悪を結構やるんですよ。RIZINの旗揚げの時に『谷川さんRIZINのVTRに出てくれませんか」と。GLORYの時だったかもしれないけど、もういいよって断ったんです。

ちなみにどういう風に出すつもりだったのかと聞いたら、『PRIDE時代に活躍した選手がみんな走るシーンを取りたいんです。そこで谷川さんだけ転んで欲しい』って。

あのさ〜お前はホントに酷いやつだねって(笑)。まあ、そういう関係なんですよ。なんで僕がそんなことをしなければいけないんだって。もう二度としないですよ。」

ーーそうして始まったDREAMにも凄く幻想がありました。でもDREAMは正直に言うと第1回大会でそれが弱まってしまったという印象もありました。

谷川「僕は何にも触ってないんですよ。DREAMはマッチメークとか何も触れていないです。」

ーー最初はHERO’SとPRIDE勢の対抗戦って感じでしたよね。谷川さんとしてはHERO’Sの選手を応援されていたんですか?

谷川「気持ち的にはもちろんそうだよね。でもああいうのは難しくてさ。HERO’Sを立てればPRIDEの人たちが下がるし。逆にPRIDE勢を立てすぎたせいで、HERO’Sの選手達が失恋気分でみんなどっかにいっちゃったよね。

こんな扱いじゃなかったよねみたいな感じで。KIDも秋山もみんな途中でいなくなっちゃった。唯一頑張ったのが所くんだよね。PRIDEカラーの中で一人だけ頑張っていた。『こんな試合意味あるの?』という試合も含めて。

逆に高谷くんみたいにPRIDE色が似合う選手もいた。けど純粋なHERO’Sファイターで最後までいたのは所くんだけだよね。」

ーーDREAMは青木選手と川尻選手がメインの興行だったと思うんですが、名前を世間に大きくは響かすことはできないまま終わってしまいました。

谷川「僕は青木選手を触ってみたいんだけどね。あの時も僕だったらこうはしないなと思いながら見てました。その気持ちは今でもある。

巌流島にも出てもらいたいですし、もったい無いよね。本人には失礼だけど、僕だったらもっと違う扱いをしたい。」

ーー青木選手は当時は凄く幻想がありましたよね。

谷川「僕がDREAMの中で一番印象にあるのは『青木vsシャオリン』の試合だなあ。何してるのこいつって思いましたもん。逆に面白かったなあ。シャオリンにムエタイって。僕の中ではDREAMで一番おもしろかった。」

ーースーパーハルクトーナメントは谷川さんが絡んでるのかと思ってました。

谷川「全然。僕はあんな風にやらないですよ。変な話、PRIDE勢がK-1ぽいというか、僕っぽいことをやらないほうがいいよね。

僕がPRIDEっぽいことをやらないのと一緒で、逆に変な風になっちゃうよね。成功しないですよ。そういう精神がないから、やる側から気持ちが感じられないんですよ。テレビ局に言われたんだろうなって。」

ーーそれではK-1の最終年である2010年の話に時間を進めます。当時は中国のPUJIという会社から投資を受けるって話でしたよね。

谷川「その話はありました。でも最終的には受けてないです。

簡単に言うとK-1というものを持っていたのは石井館長で、エムコムって会社の人にそれを売ってしまった。それに僕は未払いもあったし続けようと思ったんだけど、今度はGLORYに訴えられて破産申請をかけられた。」

ーーそれがなかったら幻の中国・南京大会は実現したんでしょうか?

谷川「そうですね。僕は南京まで行きましたし。でも最後は石井館長が商標を僕にも貸してくれないとなって。貸さないってこともないだろうとは思うんですけど。」

ーー財政的には本当に苦しい状態だったんですね。当時は谷川さんの顔もゲッソリしていて心配してました。

谷川「ホントにK-1が駄目になる時の僕と、PRIDEが駄目になるときの榊原さんはフラフラですよ。」

ーーその時はあまり寝てもいなかったんじゃないですか。

谷川「そうですね。でも今も変わらないですよ。まだ出し切れていないですね。巌流島がもっと上向かないと。

ここ7年位はずっと苦しいですよ。人生いろいろあります。僕は50歳になってこうなるとは思わなかった。」

ーーK-1って最後のほうは従業員は何人くらいいたんですか?

谷川「15人~20人くらいかな。」

ーそれもK-1の南京大会ができなくなって解散という形に。

谷川「解散というか、もう給料も払えなくなるからって話はしましたね。」

ーーあとK-1の従業員はよく働くという話を聞いたことがあります。深夜まで毎日のように働いていたとか。

谷川「そうですね。みんな一生懸命やってくれましたね。凄いイベント数をやっていましたから。」

ーーK-1が終了してから巌流島が始まるまでの期間で谷川さんは何をされていたんですか?

谷川「GLORYをちょっと手伝ったのがあったり、復活に向けてネットで記事書いたりそれくらいですかね。あとは前向きな話じゃなくて、どうやって整理しようかとかそういう事を含めて大変でした。

本当に色々あったけど、なんとか巌流島という新しいイベントを立ち上げることができましたし、今は巌流島に全てを注いでますよ。」

(現在は新たな格闘技イベント『巌流島』のプロデューサーを務める。巌流島は既存の競技とは一線を画したルールや世界観が特徴となっている。)

クイール編集部 ◯文 text by Queel
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この記事へのコメント()

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なか
2018/01/27 15:58

面白かった
最終回の部分だけもっと切り分けて効いてほしかった

2016 11 20 13.43.09
たわし
2018/01/27 20:17

K-1の最後の方の谷川さん、本当にやばい顔してました。一格闘技ファンとしてはいろいろ楽しませてもらって感謝していますが、今でも未払いの件でかなりの人に怨みをかってるでしょうね。

Aolodwlc
シゲチー
2018/01/27 23:02

記事全部面白かったです、DREAM時代は谷川さんはあまりタッチしてなかったんですね。それと谷川さんのこけた映像を撮ろうとしていた話は爆笑でした

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ささやかな巌流島拡散党
2018/01/28 02:50

すべて魔裟斗が際立つようにしてた背景がよくわかり、今までのすべてのインタビューの中で、今回が最も痒いとこに手をあててくれたような内容で、ようやく十数年来のモヤモヤが、ようやくスッキリしました。有難うございますm(._.)m

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田中
2018/01/28 03:47

秋山の扱いになんでそんなに怒ったのか。
あれほどのことをしたのに、谷川は一切そのについては触れない。
kaminogeに出てた桜庭の話とダイナマイト側の言い分は相当乖離があるし、なんでやれんのかのときの秋山まで庇おうとしているのか理解できない。
クイールさんも、そこの核心部を曖昧にしてしまったのはとても残念。
すっぽり抜け落ちている、谷川最大の汚点ですよ。

今からでもいいから考察記事とか書いて欲しいです。

スッキリしない。
全然スッキリしないよ。

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まる
2018/01/28 11:02

谷川さんのインタビュー本当に面白かった。有料記事でも文句無しで支払いたくなるような内容でした。これからの巌流島でのご活躍を祈ってます。

Trqgj0d4
カルバン
2018/01/31 18:31

非常に読み応えのある内容。佐藤大輔のくだりは笑ってしまいましたが 笑

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