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勅使河原弘晶インタビュー。虐待、非行、少年院。ボクシングへの出会いとプロとしての拘りとは。【前編】

2018/02/01 18:36

今の格闘技界で勅使河原 弘晶(てしがわら ひろあき)ほど過酷なバックグラウンドを持った選手はいないだろう。

WBOアジア・パシフィック・バンタム級王者の勅使河原は、壮絶な生い立ちからボクシングを始めることになったキッカケ、現在の好戦的なファイトスタイル、そして輪島功一との師弟関係はまるでフィクション上の登場人物のようでもある。

幼少期には義母から虐待を受け、空腹から自宅の壁を食べていたこともあるという勅使河原は、万引きを強要されたことからやがて非行に走り、少年院に収容されることになる。そして少年院で出会った元ボクシング世界スーパーウェルター級王者の輪島功一の本を手に取ったことからボクシングを始め、昨年10月には輪島功一が会長を務める「輪島スポーツジム」に初のベルトをもたらした。

試合ではどんな相手でもガードを上げることなく、対戦相手を文字通り叩きのめし、KOするまで攻撃し続ける。ハングリーという言葉では済まないほどの勝負への拘りを持つ勅使河原は、今後世界タイトルに絡むことがあれば間違いなくスターダムに駆け上がる存在だ。

今回は2月8日(木)にWBOアジアパシフィック王座の初防衛戦を控えたタイミングでインタビューを行い、勅使河原というボクサー像に迫ってみた。

(※インタビューは前後編構成となっています。)

虐待、非行、そしてボクシングとの出会い

ーー勅使河原選手は昔は荒れていた時期があったとのことですが。

そうですね。暴走族に入ってたんですよ。そんな感じだったので常に悪さをしていたというか。

中学校2年生くらいで暴走族に入ったんです。その前の小学校6年生くらいのころから悪いことをしだすようになって。

それで中学校1年生くらいの時から自分でバイクを盗んで乗ったりしていて、やっぱりそういうことをやっていると地元では目立つじゃないですか。

僕は群馬県出身なんですけど、すぐに暴走族の怖い人達に捕まっちゃって。地元は厳しいところだったんですよ。半帽とか被っているだけで狩られるくらいの。

ーー荒れている地域だったんですね。

そうですね。暴走族の集会所に行くと素っ裸にされて写真を撮られるとかそういう噂が広がっているようなところだったので。

僕がバイクを盗んで走っているところに暴走族の先輩たちに捕まって。「お前何やってるんだよ?お前どこも入ってないのか?ふざけんじゃねえぞ」みたいな感じで。

ーー所属していないと駄目なんですね。

駄目だったんですよ。髪の毛を染めているだけで本当にうるさいところでしたね。

ーー小学生の頃から悪さをするようになったということなんですが、その原因とかは何かあったんですか?

何なんですかね。僕もよくわからないんですけど、幼少期から虐待とかをずっと受けて育ってきていたんで、自分の生きている場所というか存在を示したかったのか自然と悪いことをしたいというか。

目立ちたかったんですかね。

ーー幼少時代には壁を食べていたというエピソードも聞いたことがあるんですが。

そうですね。家の壁をむしって食べていました。むしると剥がれるので。それを見て父は実の父で、僕が虐待を受けていたのは義理母からだったんですけど、父は僕が虐待されていることを知らなかったんですよ。

なので壁がむしられていたら何かあったのかと思うだろうし、父が僕の虐待に気づいてくれるんじゃないかと思って必死に食べたというか。

まあ、お腹も減っていたので。ご飯も食えてなかったですし。

ーー幼少期の頃は苦しんだ経験をされていたんですね。

万引きを強制させられたりしていましたね。万引きはずっとさせられていて、スーパーとかでちょっと高いものとかを義理母に盗まさせられていましたね。

そして捕まったときも「お前捕まったらなんて言うかわかってるだろ?自分で欲しかったって言うんだぞ」って何回も言われて。「言ってたどうなるかわかってるだろ」って殴られ続けていましたね。

そういう経験をずっとさせられていたから、自分も非行は万引きから入ったというのはあるかもしれないですね。

物心ついてすぐに万引きをさせられていたので。小学生の高学年の頃には友達とスーパーに行って万引きするようになってました。

ーーそんな経緯もあり、勅使河原選手は少年院に入ることになったそうですね?

そうですね。中学校2年生くらいからずっと悪さをしていたので、何回も警察に捕まっていましたし。地元も狭いので悪いことをしているとすぐ分かるんですよ。

それで何回も捕まっていると保護観察というのが付いて、変わらずに悪さをしていたので。そうしていると16歳の頃に逮捕状が出て一回目に少年院に入りました。

そして一度は少年院から出たんですが、その3ヶ月後にまた捕まって少年院に戻ってきています。

ーーそこで輪島功一さんの自伝を読んだのがボクシングに出会ったキッカケになったそうですね。

少年院の中ってテレビも見れないですし、本当に娯楽が本しかないんですよ。なのでみんな本を読むのが楽しみだったんですよ。

それで本を読む時間にたまたま輪島会長の本があって、表紙が凄くインパクトのあるものだったんですよ。それで「何だろうこれは」って手にとって読み始めて。

それまで輪島会長がどういう人だったかは全く知らなかったですし、ボクシングもほとんど知らなかったんですよ。知ってたのはテレビで良く放送されていた亀田三兄弟くらいですね。

そんな中で輪島会長がボクシングで世界チャンピオンになったストーリーを読んだんですよ。輪島会長は才能溢れるボクサーではなくて、努力でのし上がったという話だったんです。

しかもボクシングを始めたのも25歳で、僕が本を読んだのは19歳の頃だったんですけど、25歳のこの人が世界チャンピオンになれるんだったら19歳の僕が始めたら余裕でなれるじゃんって思って。

輪島会長は根性でのし上がっていて、僕も根性は誰よりもあると思っていたので、じゃあ自分も根性と努力で世界チャンピオンになれるなって。

そこから僕の人生が変わりましたね。

ーーひとつ気になったんですが、少年院には図書室みたいなところがあるんでしょうか?

いや、図書室ではなく本棚みたいな感じです。普段は鉄格子の中で生活していたんですが、廊下に出ると本が陳列されていて、週に2回本を交換できる日があるんですよ。

その時に2冊か3冊、本を借りられて。輪島会長の本にもその中から出会ったという感じですね。

ーー本のラインナップというのはどんなものになるんでしょうか?

小説系が多いかもしれないですね。

ーー小説といえば勅使河原選手のニックネームは「金色夜叉」じゃないですか。あれも元は尾崎紅葉の小説ですよね。

金色夜叉なんて呼ばれたことないですけどね(笑)。あれも勝手にウィキペディアに誰かが書き込んでいるだけです。

ーー尾崎紅葉は関係なかったんですね。てっきり金色夜叉ともそこで出会っていたのかと思っていました。

勝手に付けられたので違います。でも逆に興味持ちました。もっとカッコいい名前を付けて欲しいと思っていました(笑)。

ーー話は戻りますが、輪島会長の本と出会うまでは運動経験はなかったんですか?

部活もちゃんとやったことがなかったので運動の経験はなかったです。なので運動神経も並くらいで才能があったわけではないです。

ーー19歳で少年院を出られて、そこからすぐにボクシングを始められたんですよね?

出院してすぐに群馬から輪島ジムに体験に行きました。そしたら「ちゃんとやりたいならお金を貯めて住むところと仕事を探してから来たほうがいい」と言われて。

それで群馬に一度帰ってお金を溜めて、毎日走ってから筋力トレーニングをして、自己流のトレーニングで身体を鍛えてから半年後に上京してきました。

もうジムのすぐ裏で1分くらいで到着できる部屋を借りて住んでいました。とにかく近くがいいなって。そして仕事も群馬にいる時にハローワークで東京の職場を探して働かせて頂くことになりました。

ーー輪島会長とはすぐに会うことができたんですか?

できました。

ーー勅使河原選手は輪島会長に憧れてボクシングを始めた訳ですが、何と声をかけられたんですか?

いや、いまだに僕が輪島会長の自伝を読んでボクシングを始めたというのは会長には言っていないんですよ。

第三者から聞いて伝わっているのかもしれませんが僕からは言ったことがないので。なのでその話題について話たことはないです。

ーーそれも意外な話ですね。

つい2年前までは輪島会長に「島崎」って名前を間違って呼ばれていましたので。

僕がランキング入る前くらいだったんですけど、それまではずっと「島崎」って呼ばれていました。たまに「勅使河原」って呼んでくれるんですけど。ただこれもわざと間違ってくれているんだろうなと思っていました。輪島会長って凄く頭のいい方なんですよ。

話せば話すほど奥が深くて面白い方なので、そんな方が僕の名前を間違えるわけがないなと僕が勝手に思い込んでしました。

たぶん僕が輪島会長に憧れてボクシングを始めたことを聞いていて、それを知っているからこそまだこれくらいでは認めていないというので島崎と呼ばれていたんだと思います。

ランキングに入ったら勅使河原と呼んでくれるようになったので、やっと認めてくれたんだなって嬉しかったですね。

ーー凄くいい話ですよね。

僕は本気でそう思ってるんですけど、みんなに言うとそんな訳ないって言われるんですけど(笑)。

ーーボクシングを始めてすぐにプロになられたんですよね?

1年くらいですかね。

ーーボクシング経験もなかったとのことですが、デビューして無敗で東日本新人王の決勝まで辿り着いていますよね。ボクシングは最初から上手くいった感じだったんですか?

いや最初は全然不器用でした。ただ練習だけは誰よりもしていましたね。苦しい練習をしたら強くなると思っていて。

朝は10kmを毎日タイムを計りながら全力で走って吐いて、ジムでもオエオエ言いながらサンドバッグを叩いていたので、自信だけは誰よりもありました。

技術はないけど自信とスタミナはあるって状態で試合をしていて、手数を出し続ける戦いでそこまで勝ち上がれたって感じでしたね。

でも決勝はキャリアで優る技術のある選手とやって、そこで負けてからこのままじゃ上にいけないと気付かされて、技術面を見つめ直すことになりました。

それまでは勢いだけで勝ってきたようなものだったので。そこで転換期があった感じです。

ーーその敗戦の後には4連勝でA級ボクサーになり、当時16勝1敗2分という好成績を誇っていた格上の坂本英生選手とドローにもなりました。あの試合でも評価は上がりましたよね。

いや僕の中では当たり前のように勝てると思っていたので、自信だけはあったんですけど駄目でしたね。

言い訳になるんですけど怪我でバランスが崩れてしまっていて、右が上手く出せずに左を無理に当てに行こうというものになってしまっていたんですよ。

なので内容的には納得いくボクシングができていなくて、こんなボクシングをやっているようじゃ辞めたほうがいいのではないかと思い詰めていましたね。

自分の試合もつまらなかったんですよ。こんな試合をお客さんが見て僕を応援する気にはならないだろうし。もう後がないと追い込まれながら試合をしていましたね。

ーーこの時期までは試合内容ではアグレッシブに攻め続けるも、パンチを貰いピンチに陥る場面もありましたよね。

今もそんな感じですけどね(笑)。

ーーキャリア序盤から攻撃に特化したスタイルにも見えたんですが、やはり攻めが好きだったということなんでしょうか。

本能的に行っちゃうんですよね。スパーリングでは行かないように我慢できていても試合になると行っちゃうんですよ。

運動神経とかはないですけど、自分では才能があると思っているので。もう本を読んだときに世界チャンピオンにならなければいけないと決めていたので。

なのでこんな段階では相手を圧倒して勝たないといけないなという思いもありましたね。

あとは自分の中には野性味があると思うんですよ。普通の人だったら経験しないような出来事なども経験してきたので、僕の心の中は誰よりも熱いので。

ーー最初から目標が世界チャンピオンというのも凄いですよね。ましてスポーツ経験もなかったという状態からなのに。

目標というよりもなれると確信したんですよね。輪島会長も運動神経タイプではなかったですけど、それでも努力で世界チャンピオンになっているので。

この人がなれるんなら自分もなれるっていう思いですね。

普段の練習でも輪島会長が指導すると、輪島会長だからできるんだっていうシーンもあるんですよ。でも僕は輪島会長がやったことは自分も全部できると思って全部聞くので。

僕の中では輪島会長は神様みたいな人なので。輪島会長の言うことだったら本当に何でも聞くと思います。それくらい尊敬しています。

ーー2016年には赤穂選手と対戦しましたが、この試合は敗れはしたもののビッグネームを相手に大接戦を繰り広げ日本ランキングに入るんですよね。

この試合は負けて反省する部分が多かったんですが得るものは多かったですね。僕は過去は全て都合よく考えてしまうので、今となってはこの試合もこれはこれで良かったなと思っています。

この敗戦があったから今があると思えるので。そこからは全部倒して勝っていますし。

ーーこの試合の後から勅使河原選手の中で何か変化があったんでしょうか?

僕の中では赤穂選手との試合も判定のアナウンスまで勝ったと思っていたんですよ。それで僕の手が上がらなかったのは凄く悔しくて、第三者に勝敗を委ねるのは納得いかないという思いがありました。

自分の思っているものと周りの見るズレはあるので。でも倒していれば僕が勝つのは間違いないですよね。誰が見ても勝ちになるKOは意識するようになりました。

全部倒してやろうって。もちろん次の試合も倒して勝とうと思っていますし。

ーーそのあたりから被弾も打ち合いの中でもらうもののみになって、ディフェンスの進化も凄く感じます。

ディフェンスは本能的に避けるって感じですね。そんなに変わったという部分はなくて、総合力が上がったから少しは改善したという感覚ですね。

ーー対戦相手の質が上がりながらもアグレッシブに攻め続けるスタイルが変わらず、それで結果を残し続けるのも凄いですよね。

面白い試合というのは心がけていますね。チケットだって一番安くて4000円と高いじゃないですか。さらに交通費をかけて、多くの時間を割いて来てくださるので、僕はそれだけの試合をしないといけない。そこも一つの勝負ですよね。

僕は勅使河原というボクサーとして一つの商品なので。またお金を出したくなる商品でありたいと思っているんですよ。

ボクシング界って面白い奴がいない。僕がこれからのスターになっていくので、面白い試合をして僕の需要を高めていくことを考えています。

※インタビューの後編はこちら

クイール編集部 ◯文 text by Queel
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