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ヨハン・ボスと会ったその日にオランダ行きが決定。ボスジムジャパンの田島兄弟が味わった壮絶なオランダ修行とは

2018/02/02 20:03

K-1グランプリを4度制したアーネスト・ホースト。

"フォータイムスチャンピオン"として君臨したホーストは、オランダの名伯楽であるヨハン・ボスが主宰するボスジムで実力を磨き、中量級上がりという体格のハンデを乗り越え、4度K-1の頂点に立つことに成功した。

そんな名門ジムであるボスジムにおいて、初の内弟子として日本人が迎え入れられたことはあまり知られていない。

ヨハン・ボスの自宅で5年にわたって住み込み生活を続け、後にK-1に逆輸入戦士として参戦したその日本人ファイターこそ、現在ボスジムジャパンを東京に構える田島剛、田島洋の両名だ。

名伯楽のヨハン・ボスから「2人の息子」と称され、オランダではオランダ式キックボクシングのみならず、古流柔術をベースとした独自の動きを身に着けたという両だが、そのトレーニング環境はまるで「ドラゴンボール」の"精神と時の部屋"のような濃密なものだったという。特異なキャリアを持つ両名に、知られざるオランダ、ボスジム時代のエピソードを伺ってみた。

※本記事はインタビューを元に、ボスジムの監修により加筆修正を加えたものとなっています

雑誌の片隅で見つけた記事から、いきなりのオランダ行きへ

ーーまずお二人が格闘技を始めたキッカケというのを教えてください

田島剛 「物心ついた時から不思議と強さへの憧れがあり、ゴレンジャーや仮面ライダーシリーズから始まり、キン肉マン、北斗の拳、ドラゴンボールとバトル物にハマっていったのが一番最初のきっかけだと思います。

当時はプロレス中継が頻繁にありましたから、そこから父や祖父の影響もあり日常的にプロレスを目にする機会が増え、それが自然とプロレスラーへの憧れに変わり、将来的に自分がなりたい職業へとなって行きました。小学4年生の頃、マイク・タイソンの試合を観て衝撃を受けたのを覚えています。プロレスラーと同時にボクサーにも憧れました。

たまたま女子プロレスを見た時にダンプ松本とブル中野の極悪同盟を見て恐怖し、なぜか鍛えなければやられるかもしれないという危機感を抱きました。昔から無駄に危機感が強かったので、鍛えなければやられるかもという感覚で身体は鍛えていました。

中学校三年生の時にK-1が始まりプロレスから一気にK-1の魅力に引き込まれました。プロレスの下地に空手をやって蹴りを覚えようと思い空手道場にも通いましたが、道場訓の内容が怖すぎて辞めちゃいました。生涯の道を空手の修業には捧げられませんから。

プロレスからK-1に変わった理由の一つが、当時大ファンだった内田有紀が笑っていいともで、プロレスラーみたいな体格の人が好きと言っていたので、プロレスラーになることを心に決めていたんですが、別の番組で好きなタイプはピーター・アーツって言ってたんですよ、『あーこれもうK-1やるしかないなって』思ったのがK-1選手を目指したきっかけですね。最初は内田有紀が好きだったからという、不純な動機でした。

本気で格闘技をやらなきゃと思ったのは高校に入学した直後です。入学してすぐ、中学校の時の同級生が先輩達にパー券を回されて困っていると泣き付かれたので、回して来た先輩達にアイツら困ってるから勘弁してやって下さいって断ったんですよ。そうしたら、後日助けた同級生達に呼び出されて、『なんだろう感謝の集いでもやってくれるのかな』と思って行ってみたら、沢山人が集まってたんです。よく見たら先輩達で、ハメられたってその時気付きました。パー券を断ったのが気に入らなかったらしく、数十人に囲まれてバイクと人間で即席オクタゴンを作られボコボコにやられたんです。

当時の自分は中学校三年生で180センチを越えていて、体重も80キロ位ありましたし、背筋力は280キロ、握力も70キロ位あり空手もやっていたので、自分を仕留めるのに相当人数を集めたんだと思います。

最初は10数人だったのが、ポケベルでどんどん仲間を呼ばれて、スライムが増えて行くかの如く人数が増えて行ってました。さすがにヤバいなと思って倒れて頭を踏まれるのだけは回避しなきゃって思い、立ったまま急所を外して凌ごうと考えました。

下手に避けると躍起になると思ったので、身体と頭は急所を外して敢えて打たれました。相手の殴り疲れと、素手で殴ってたんで手を痛めたんでしょうね、集団暴行も2時間位でやっと終わりました。

途中、傘やスパナで殴られましたが、さすがにスパナの直撃はヤバいと思い避けました。上手いこといなしたので、ダメージはそれ程無かったんですが、肉体的ダメージよりも同級生達に裏切られ、先輩達に自分を売られた、精神的ダメージの方が大きかったですね。

深夜家に帰って翌朝両親に顔を見られたら、何ちゅう顔してるんだって事になり親父に連れられ警察に行ったんです。そうしたら、そこの少年課の刑事さんに言われたんですよ、『なまじ強いとやられちゃうんだよキミ。』って。

この時に思ったんです。『あぁーそうか、一人で30人相手にして勝てなきゃダメなんだなって。』そこからは本気で格闘技に打ち込むようになりました。埼玉に唯一あった春日部のキックボクシングジムに通ったりして鍛えてました。

ただそのジムは会長が酒屋の倉庫の2階で趣味でやってるようなジムだったので、一人で真っ暗な火葬場の周りを走ったあと、サンドバッグを打って、たまに酔っ払って来る会長のミットを打ったりしてましたが、つまらなくて。

そんな矢先に高校のボクシング部の監督にスカウトされ高2の夏にボクシング部に入りました。

当時、内田有紀がピーター・アーツの大ファンという情報を得ていて自分も絶対K-1をやろうと決めてたんで、ボクシング部には入る気は無かったんですけど、監督が『K-1のパーティーに連れて行って内田有紀に会わせてやるから入れ』と言われ、その一言がきっかけでボクシング部に入りました。空手部の監督からも猛烈なスカウトがあったんですけど、内田有紀に合わせてやるの一言でボクシング部に決めました。結局会わせてもらえませんでしたから、自分で握手会に並んで会いに行きましたけど。

ピーター・アーツに勝ったら内田有紀が自分に惚れるかもって勝手に妄想膨らませてたんで幸せでしたね。

ボクシング部に入ってからは試合の度に7キロ位減量して75キロのミドル級でやってました。三年のインターハイまで負けなしで、インターハイは準優勝、団体は総合優勝しました。自分の前の試合で母校の総合優勝が決まり、自分の緊張の糸が緩んだのを覚えてます。自分が勝ったら総合優勝とかどったら優勝してたかもしれません。

大学はボクシングの特待生で拓殖大学に入りました。大学2年生の時に全日本選手権で3位になりましたが、当時はボタン式のポイントシステムで、準決勝までは全てKO勝ちだったんですが、準決勝は自分がアグレッシブに攻めてるのにポイントが入ってなかったんです。3人のジャッジが同時にボタンを押さないとポイントにならないようでした。アグレッシブに手数を出すタイプはボタンを押すタイミングが合わず、ポイントになりづらかったみたいです。ミドル級に落とすのに10キロ近く減量していたんで、この頃からK-1に早く行きたくてウズウズしてました。」

田島洋 「自分の幼少期は朝から晩まで裸足で駆け回っている子供でした。長兄・剛の影響で、自分も小学1年生からプロレスラーを志します。少年時代一番強いのはプロレスだと思っていましたから。

当時はプロレスごっこが流行っていましたが自分が兄とやっていたものは『ごっこ』というより部活に近いものでした。しっかり身体を鍛えて本物のプロレスになるよう目指していましたね。他の子は混じりません。2人でプロレスをやるんです。子供は怖いもの知らずで身体も軽く柔らかいので向いたのかもしれません。

全日本プロレスでジャンボ鶴田、三沢光晴が激しいプロレスをやっていれば、それを真似して二階の寝室に布団をいっぱいに敷き詰め、岩石落とし。成果として友達を呼んでそれを見せる。

テリー・ゴディのパワーボムが流行った時にはそれを受けるのですが、子供ながら誉めてやりたいのは絶対に首からは落とされなかった。それでも寝室の床が抜けて沈みましたから、今思えばあの時代に『ブロック・レスナーvsビッグ・ショー』のリングが壊れるプロレスを先取りしていましたね(笑)その後仕事から帰ってきた母親に物凄く怒られましたが…

夢はでっかく世界最強。子供の頃から"世界最強"という文字が部屋の壁に張ってありましたから。

子供の頃って3歳違うと大きいじゃないですか、喧嘩すると敵わない。兄はろくでなしBLUESの前田太尊みたいな感じでしたから、これ超えないと最強もへったくれもないなと(笑)兄がボクシング、それなら自分は蹴りがあるK−1にしようと。

人間様々な生き方がありますが、男ならただ平凡に暮らすより何かにかけて夢を大きく持ってもいいじゃないか、あとで後悔するようなことはしたくない、デカい夢をみてるんだから思いを行動に移せばいい。最強への憧れから18歳の時にオランダに渡ることを決めました。」

ーーボクシングで高い実績を収めていた剛さんがK-1に行くキッカケというのはなんだったのでしょうか?

田島剛 「当時、たまたまマッスル北村さんと知り合いで。小学生のときに『ドッジ弾平』という漫画が流行って、そのイメージキャラクターがマッスル北村さんだったんです。自分たちがドッジボールのチームで全国大会に出たときにマッスルさんと写真撮ったのが始まりだったんですけど。

そこから月日が流れて、大学の帰りに地下鉄乗ってたら、目の前にマッスルさんがいたんです。真冬なのにトレーナー1枚でおかしいだろと思ったんですけど、『マッスルさんですよね』って聞いたら、『マッスルです。キミ良い身体してるけど何かやってるの?』と言われて。

それで『ボクシングやってるんですけど、いずれK-1をやりたいです』と言ったら、『筋肉の付け方教えてあげるから僕が通ってるゴールドジムに来なよ。』と言われて。大学のトレーニング室や重量挙部の器具で筋トレはやっていたんですが、マッスルさんが教えてくれるならと思い、大塚にあるゴールドジムに行くことにしました。ゴールドジムにいったらマッスルさんは自分のトレーニングに夢中で特に何か教えてくれたわけじゃないんですけど、そこから色々と広がって渡辺実さんというパーソナルトレーナーの方に筋トレを教わりました。

渡辺実さんの知り合いの方からアンディ・フグがいた『チーム・アンディ』に来ないかという話をもらったんですけど、『チーム・アンディよりチーム・ボス』だろうと」

田島洋 「当時、オランダが圧倒的に強くて、ブランコ・シカティック、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト。チャンピオンはほとんどオランダ勢が占めていたので世界で一番レベルの高いところに行こうと。」

田島剛 「アーネスト・ホーストのテクニックがNo.1だった。ボスジム一択でしたね。」

田島洋「多くの王者を輩出するオランダ式キックボクシングとは一体どんなものなんだろうという期待がありましたね。」

田島剛「当時、格闘技通信にヨハン・ボス先生の記事があり、『185cm以上で18歳〜21歳ぐらいの日本の若者を育てれば世界に通用する選手に育てられる』という記事が掲載されていました。これは自分たちのことだと思い、オランダ大使館にオランダへ渡りたいと電話をかけました。」

田島洋 「今ではインターネットからツテを得られるかもしれませんが、当時は何もなかった。『日本人を強くできる』というヨハン先生の言葉は自分たちに言ってくれた言葉だと思い、世界一のコーチがいるオランダに行くんだと(笑)」

田島剛 「間違えがちなのは、強い現役選手に教えてもらうのではなく、コーチに教えてもらう。パッキャオが素晴らしいからといってパッキャオに指導を仰ぐものではない。フレディ・ローチに教えてもらった方が遥かに良いじゃないですか。選手には憧れても教えを乞うのはその指導者からというのが選手として当たり前の考え方かと思うんです。」

田島剛 「オランダで生活していくとなるとまず仕事が欲しかったので、オランダ大使館に電話をかけて『オランダで仕事をしたいのですが、どこか日本の企業を紹介して頂けないでしょうか?』と聞いてみました。

担当の方から『なぜオランダに行きたいのですか?』と聞かれたので『オランダでキックボクシングをやりたいんです』と返したんです。そうしたら『どこのジムでやりたいの?』と聞かれました。自分は『ボスジムです』と答えたんですよ。

すると電話に出た大使館の方が『ボスさんは私の友達です』となって。大使館で働いていた方が偶然ヨハン・ボス先生の知り合いで、ヨハン先生を紹介してもらえることになったんです。まさかヨハン先生の知り合いと一回目の電話で繋がるなんて奇跡的な出来事だと思いました。

まず最初にプロフィールを送り、ヨハン先生の秘書から返事がきました。書類選考を通った感じですね。1ヶ月後にホースト先生が大阪で試合があるということで、夜行列車に乗って二人で会いに行きました。スーツに身を包んでまさに就職活動でしたね。有り難いことに大使館員の方も大阪に通訳で来てくれていました。」

田島洋 「ここでヨハン先生に見初められればオランダへ渡り最強への道が開ける。ヨハン先生に会うときは緊張しながらも希望に胸が膨らみました。

プロレスの入団試験のように、スパーリングや筋トレ、ホテルの外周のタイムなど、どんな体力試験が来ても大丈夫なように気合いを入れていきましたね。バックには練習用具とマウスピースを用意していたんですけど、結局何もなくて。

ヨハン先生は自分たちの目を見て『君たちの目が気に入った。オランダへ連れて行こう』『生活の心配はいらない。私が全て面倒をみよう』と仰いました。本当にその一言でオランダ行きが決まったんです。」

田島剛 「『明日帰るから一緒に来なさい』と言われましたね。いや、まだパスポート取ってないからとなりましたけど(笑) 決断早いなぁーって。

これが世界一の選手を育てた人間の考え方なのかと、大変感銘を受けました。それが大学3年の冬の出来事だったので、翌年の大学4年生の夏にオランダに渡りました。」

クイール編集部 ◯文 text by Queel
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この記事へのコメント()

Yu5vhm2x
大澤 辰郎
2018/02/02 22:48

読みごたえがあって、良かったです。フィリオが具体的に今何してるかわからないので気になります。(後進の指導との情報がありますがイマイチ具体的でない)SNSもわからないし。
フェイトーザやテイシェイラも気になります。今の若いブラジルの子はMMAに流れたのだろうか。
極真のHP見たらブラジル人は元気無い印象。(ロシア人多いかも)
極真が五輪競技の寸止め伝統空手にすりよせ選手派遣?とかの記事も他サイトであったし。(売る覚えだから信じないで)

K-1支えた?極真事情も気になります。。。

Missing avatar
  l
2018/02/03 22:45

面白かった
乃木坂の某タレント事務所の隣にヨハン・ボス・スポーツ…って書いてあって
「これ何だろう?」って思ってたけど、あれ本物のボスジムなんだ!

Trqgj0d4
カルバン
2018/02/03 22:55

めっちゃ読み応えありました。

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1
2018/02/04 03:40

本当に読み応えありました。懐かしい名前もいっぱいで嬉しかったです。ありがとうございました。
ボスさんがもう少し選手の安全面に寄ったトレーニング方法をとっていたらもっとTsuyoshi選手を見られたと思うとちょっと残念ではありますが、当時何が起こっていたか知れてよかったです。

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えび
2018/02/10 23:07

朱里選手や北斗選手が所属ということで気になっていたので大変興味深く読めました。