Queel
×
サイト内を検索する
  • キックボクシング
  • インタビュー

ヨハン・ボスと会ったその日にオランダ行きが決定。ボスジムジャパンの田島兄弟が味わった壮絶なオランダ修行とは

2018/02/02 20:03

田島洋 「オランダ語を喋れなかったんですが、ヨハン先生は『言葉は問題ない』と言ってくれました。最初は全く喋れませんでしたが、熱意だけはありました。」

田島剛 「選手になることが目標だったのでその先の事は特に頭にありませんでした。大学3年の冬にボスジムに格闘家として就職先が決まったんで、来年オランダ行く迄に身体を作るのが俺の仕事だって思いました。」

田島剛 「オランダではオランダ語で会話をしていました。本当は英語を教えてもらいたかったんですけど、オランダ語なら試合中に相手にバレないからオランダ語にしなさいということで毎晩、ヨハン先生と勉強しました。

疲れていると中々頭に入ってこないんですけど、格闘技をやってる人は必ず勉強した方がいいですね、脳細胞を活性化させるためにも。自分は今も読書を日課にしています。」

田島洋 「ヨハン先生の家は凄く広くて、門を開けて車で入っていく。自分たちが行った頃には家の敷地内にジムを一つ『虎の穴みたいな形』で作ってくれていたんです。」

田島洋「そこで朝昼練習して、夜はスパーリングでアムステルダムに行くという。ヨハン先生の家は敷地内に牧場があるほど広大で、庭を管理することを任されました。それは体忍(タイニン)という肉体労働の練習でしたね。家の周りに小さなお堀があって、そこにハンマーで杭を打って柵を作ったり、ヨーロッパ特有の石畳を庭に敷き詰めたりと、色々やりましたね。

ある日、庭にジャパニーズガーデンを作ってくれという発注がきたので、日本庭園の作り方のような本を日本から取り寄せ、着手しました。日本庭園をゼロから造るのは造園業の仕事ですよね(笑)骨が折れましたがなかなか良いものが造れました。」

田島剛 「ヨハン先生に話しを聞くと、最初に始めた格闘技はオランダへ渡ってきた日本の先生に教わった古流柔術で、日本に造詣が深かったんです。古流柔術というのは、皆さんが思い浮かべるようなブラジリアン柔術ではなく、基本は背中を地面につけず立ったまま極める日本古来から伝わる武術でした。

ボスジムというとK-1王者を生み出しているように、コンビネーションを駆使した打撃のイメージが強いですが、それはボステクニックの一部を使ってK-1王者を輩出したと言っても過言ではありません。K-1を制したホースト先生やヒッポリット先生は打撃のスペシャリストですが、恐らくこの古流柔術は教えてもらわなかったと思います。」

田島洋 「自分たちが初めてヨハン先生の内弟子となって、衣食住をともにし授けて下さったものだったと思います。古流柔術を使うヨハン先生はとても人体力学に長けていましたね。関節の曲がり方から始まって、瞬間的に首を極めて崩すこともそうです。

一度、前蹴りを打ちなさいというので打ったら、キャッチされて投げられてそのまま3メートルぐらい宙を舞って庭に叩きつけられたことがあります(笑) 変な動きをしたら壊される。危ないんですよ。現行ルールでは禁止で使えないような超実践的なものでしたが、細かな部分でルールに則りキックやMMAにも古流柔術が散りばめられています。」

田島剛 「自分達がジムで教えているキックボクシングの首相撲やMMAで壁際から回避するという動きは古流柔術の動きも入っています。選手達や会員さんは普通にキックボクシングやムエタイ、MMAと感じていると思いますが、その中に古流柔術の要素が散りばめられているんです。」

田島洋 「ヨハン先生自身も、古流柔術、空手、キック、ムエタイ、我流(ボステクニック)という流れで修行されたと記憶しています。」

オランダでの独特すぎるトレーニングとは

ーーそういえばオランダでの期間は他に仕事していたのでしょうか?

田島洋 「仕事は先生の庭の管理だけでしたが、それが厳しい仕事なんです。外にバイトに行きたかったですよ。」

ーー給料は出たのでしょうか?

田島洋 「出ないです。修行ですからね。」

田島剛 「出家したようなものなんです。オランダに渡ると、最初の1年間は電話・手紙・メールの全てが一切禁止と言い渡されました。平日は外出も禁止でした。外出は週に1回だけ土曜日許されたんですが、それも門限が17時でした。子供より早いじゃないかと思ったんですが、精神力を大切にしていたんだと思います。」

田島洋 「土曜日だけ1週間の食品の買い出しをして終わり、みたいな。」

田島剛 「さすがに一年間日本との交流が絶たれれば、当時付き合ってた彼女からは『もう付いて行けない』と三下り半を突き付けられましたよ。まさに宮本武蔵の独行道の世界です。女は修行の妨げじゃっていう。」

田島剛 「練習は1日3回から4回。早朝にテンソウ、朝はフィジカル、昼に技術トレーニング、夜にアムステルダムにあるボスジムへスパーリングに行くというスケジュールでした。その間に体忍(タイニン)という庭いじりの修行も入る。」

ーーなにかこれは珍しい!という練習はされましたか?

田島剛 「なぜだかご飯を食べて満腹の状態で長時間走らされたりとかありましたね。あとは正座してるいる相手の頭スレスレでハンマーを止めるとか、牧場にいる羊を走って捕まえるとか、色々ありました。」

田島洋「自分がビヨンの頭の上でハンマーを止める番になったんですけど、ビヨンが滅茶苦茶嫌がってましたね(笑)牧場にいる羊を捕まえるのは(ドラゴンボールで)悟空が界王様の所でバブルス君を捕まえるのと同じ感覚でしたね(笑)」

田島剛「冬の公園でランニングしてるんですけど、真っすぐ以外進めないという条件なんで、そのまま川で泳ぐとか無茶苦茶な練習メニューもありましたよ。」

田島洋「そうそう、サバイバルレースの選手と走ると真冬で見渡す限り凍ってる寒さのなか、ランニング中に橋桁に降りていくんですよ。『これ嫌な予感しかしない、あぶねぇなぁって思うんですけど、やらなければいけない』。

その時に橋桁から落ちて真冬の川にダイブしビショビショになりましたよ。事なきを得たんですが、落ちる前に映画の『クリフハンガー』ってあるじゃないですか、あのクリフハンガーみたいな形になったんですけど、あそこから引き上げられる訳ないんですよ、リアルを味わいましたね。」

田島洋 「あとフィリォさんが一緒だったと思うんですが、全ての練習が終わって食事を終えた後に、いきなりヨハン先生に『歩きます』といわれて。5時間だか6時間、延々と歩かされましたね。街灯なんかない真っ暗の夜道、終りが見えない中を延々と歩き続けるという…相田みつをの『ただ黙って歩くんだな』というのが頭に浮かびましたから。精神修行だったんだと思います。」

田島洋 「オランダへ行った直後、早朝から庭でテンソウといって、澤井健一先生がやるようなゆっくりとした体の動かし方、立禅を修行しました。慣れてくると立禅した状態でブロックを持たされるんですよ。ブロックを指でつまんで中腰になりながら、目を瞑って立つという。オランダに行ったときには本当に体の使い方を基礎から叩き込まれました。スローモーションで動くんですよ、攻防一体の動きを。」

田島剛 「太極拳みたいな感じで、ディフェンスしたイメージからのカウンターというのを、とにかくゆっくり水が流れるようにやる。それを芝生の上でずっとやっていると、元プロ野球選手の黒木知宏の『ジョニーロード』みたいな感じで芝生がはげていくんですけど、それがないと『お前やってないだろ』と叱られたりもしましたね。そんな風に芝生にわだちができるような練習を朝からやってました。」

ーーそんな練習を当時はどう思っていたんですか?

田島剛「日本ではボスジムは科学的トレーニングという風に言われてましたが、行ってみたら全然科学的ではなかった(笑) 昭和初期の修行だろって思いましたよ。」

田島洋 「内弟子として5年いたんですが、精神と時の部屋でした。やることは練習か試合か体忍しかない。」

田島剛 「先生は亀仙人とかベスト・キッドの老師みたいなノリでしたね。」

田島洋 「それでも長く続けられたのは、先生が本当に可愛がってくれたんですよ。それこそ息子みたいに。だからこれを日本に持って帰らないと、というのが自分たちの使命になってたんです。これを日本に持って帰って親父の後を継がなきゃという。

ヨハン先生はジャパニーズガーデンを造った庭にお前たちの家を建てると当時言ってくれていましたけど、本当にこの前オランダに帰ったら家を建てていたので焦りましたよ、頂けませんから(笑)」

田島剛 「オランダに渡るとすぐにスパーリングをしました。確か到着して次の日でした。

いきなりスパーリングするからと言われて、アムステルダムのボスジムに行ってみたら誰かウォーミングアップしている、暗いからちょっと見えない、おぉアーネスト・ホーストだなんて思っていたら、ホースト先生とスパーリングすることになったんです。

一発目から当時K-1王者だったホースト先生とスパーリングができるのですから、オランダに来た甲斐がありました。世界一強い打撃格闘家がどれくらい強いのか単純に興味がありましたね。タイソンのパンチがどれくらい強いのか、それと似た感覚です。

その時はホースト先生とボクシングルールでやりました。ホースト先生が鼻血を出したのを覚えています。そうしたらヨハン先生が気に入ってくれて。『ナイスパンチ』って。もちろんホースト先生ですからキックがあれば倒されていました。いきなり噛み付いた若手をホースト先生はあたたかくに迎え入れてくれましたね。

オランダではレッグプロテクターは二枚重ねとかにしてやたら守るくせに、ヘッドギアを付けずにワセリンだけ塗ってスパーリングをする習慣がありました。頭の方が大事だろって思ってましたが、無駄に怪我をするので次第に皆ヘッドギアをつけるようになりました。次からは真骨頂のキックルールになったのでホースト先生には様々な勉強をさせてもらいましたね。」

田島洋 「オランダへ渡り内弟子といってもテストがありました。それは3ヶ月間様子を見て、ヨハン先生の目に留まらなければ3ヶ月間のみで帰国させると、弱いと終わりだということだったので、ヨハン先生に認められたくて必死でした。

内弟子は自分たちが最初だったんですけど、数年後から他の選手も続々と虎の穴、内弟子寮にやって来ましたよ。先生のお母さん宅の屋根裏部屋に自分たちは住んでいたんですが、アントニオ・ハードンク、ビヨン・ブレギー、ニコラス・ペタスさん、フランシスコ・フィリォさんなどが来てくれました。」

田島剛 「いっとき内弟子寮に呼び過ぎちゃって、屋根裏部屋に自分たちを含めて5人の漢たちが衣食住を共にしていたんですよ。小さい屋根裏部屋ですよ、プライベートなんてないですし、バンテージやTシャツを洗わずに干す奴とかいて、これはもう大変な地獄絵図でしたね(笑)

こういったトップ選手たちが1ヶ月〜半年ぐらいで入れ替わり立ち代わり来て、切磋琢磨していきました。練習量が半端ないので刑務所よりヤバイと文句を言って3日で帰った選手もいましたね。」

田島洋 「ただフランシスコ・フィリォさんが来てくれた時に『今ここにいることは物凄く貴重なこと。必ず君の財産になる』と言ってくれましたね。ヨハン先生も『フィリォは凄い』と言ってました。

初めて内弟子生活を希望した選手は、余りの練習量でみんな風邪を引いて寝込んでいくんです、今言えばオーバーワークなんですが、フィリォさんは文句も泣き言も絶対に言わない、風邪を引いても絶対に寝込まない、休まない。極真王者は凄いなと思いましたね。

『フィリォさん、なぜそこまで達観できるのですか?』と失礼ながら聞いたことがあります。すると『産まれつきこういう性格なんだよ』と仰った!? 仏様かと思いましたね。逆に付き人で来ていたバブーが常に『帰りてぇ〜帰りてぇ〜』と弱音を吐いていてとても面白かったです(笑)バランスが取れていましたね。

虎の穴に来る選手には、片方45キロのダンベルをショルダープレスで持ち上げるっていう荒行が待っているんです、合計90キロ。こんなの持ち上げられるわけないだろうって選手は思いながら頑張るんですけど、その重さをヨハン先生は上げてみせる。これをバブーがやらされて『死ぬー!』と言ったのには笑いましたね(笑)

フィリォさんは既に極真の世界王者で一撃旋風を巻き起こしたヒーローでしたが、この虎の穴に入って若手の自分たちと練習する。本当に凄い人で尊敬しかないです。」

田島剛 「当時アムステルダムのスパーリングパートナーは充実してましたよ。アーネスト・ホーストにイワン・ヒッポリット、ジェレル・ヴェネチアン、ビヨン・ブレギー、アントニー・ハードンク、サミール・ベナゾーズ、合宿で来るニコラスさん、フィリォさん、その他K-1に出ていた選手もいましたね。

また外部から色んな選手が出稽古にくるんですが、その場合、ヨハン先生はそいつらから絶対にダウンを取れ、KOをしろと。ボスジム・アムステルダムの掟があってシュートポーズのようなものが出たときは倒さないと凄く怒られるんです。

パベル・マイヤーがチェコから出稽古に来たことがありましたね。ヴェネチアンがバウンサーをやっていたんで、そこで知り合う腕自慢を連れてきちゃう、腕自慢をこのメンツに合流させるもんだから腕自慢がボコボコにされますよ。足を効かされボディ打たれて、肋骨を折られて帰るってのがお決まりのパターンでしたね。」

田島洋 「ヴェネチアンも当時無敗で、レミーやイグナショフも倒して凄く強かったですし、ボスジムのスパーリングだけでK-1グランプリをできるくらい充実してました。

ただやっぱり凄かったのはホースト先生ですね。ホースト先生の強さは半端なくて、このワールドグランプリ級の選手を相手にリング中央に陣取り、1Rずつ交代で3人を相手にラウンドを回していくんです。こういう環境ですから自分たちも成長することができました。」

田島剛 「特に威力があったのはビヨン・ブレギーでしたね。グーカン・サキをジャブ一発で失神させた試合があるんですけど、ニコラス(・ペタス)さんが来た時にビヨンのパンチを貰って『全然バンナより強い』と言ったくらい。ビヨンのパンチは本当に重くて強かったです。

(とりわけ破壊力が凄まじかったというビヨン・ブレギー。By Paulblank (http://www.postproduktie.nl/bekend.htm) [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons)

ハイキックの軌道から、打ち下ろすローキックなんて絶対効かないはずなのに、物凄い威力がありました。ブラジリアンキックみたいなローキック、たまに蹴る人いるんですけど、半月板を痛めるだけなんですよ普通は。ポテンシャルを出せて入ればセーム・シュルトを超えた可能性はありました。」

ーーなるほど「二階からブレギー」なんて言われていましたが、本当に攻撃力はズバ抜けていたんですね。

田島洋「K-1ヘビー級で破壊力がある人間の威力はどの程度なのか、知ってるのと知らないのでは全然違いますから。強くなるためには凄く良いことでしたね。一番強い攻撃は見えない攻撃だってことが確信に変わりましたから。」

クイール編集部 ◯文 text by Queel
クイールをフォローして
最新情報をチェック!
最新の格闘技ニュースをお届けします

この記事へのコメント()

Yu5vhm2x
大澤 辰郎
2018/02/02 22:48

読みごたえがあって、良かったです。フィリオが具体的に今何してるかわからないので気になります。(後進の指導との情報がありますがイマイチ具体的でない)SNSもわからないし。
フェイトーザやテイシェイラも気になります。今の若いブラジルの子はMMAに流れたのだろうか。
極真のHP見たらブラジル人は元気無い印象。(ロシア人多いかも)
極真が五輪競技の寸止め伝統空手にすりよせ選手派遣?とかの記事も他サイトであったし。(売る覚えだから信じないで)

K-1支えた?極真事情も気になります。。。

Missing avatar
  l
2018/02/03 22:45

面白かった
乃木坂の某タレント事務所の隣にヨハン・ボス・スポーツ…って書いてあって
「これ何だろう?」って思ってたけど、あれ本物のボスジムなんだ!

Trqgj0d4
カルバン
2018/02/03 22:55

めっちゃ読み応えありました。

Missing avatar
1
2018/02/04 03:40

本当に読み応えありました。懐かしい名前もいっぱいで嬉しかったです。ありがとうございました。
ボスさんがもう少し選手の安全面に寄ったトレーニング方法をとっていたらもっとTsuyoshi選手を見られたと思うとちょっと残念ではありますが、当時何が起こっていたか知れてよかったです。

Missing avatar
えび
2018/02/10 23:07

朱里選手や北斗選手が所属ということで気になっていたので大変興味深く読めました。

関連する記事