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ヨハン・ボスと会ったその日にオランダ行きが決定。ボスジムジャパンの田島兄弟が味わった壮絶なオランダ修行とは

2018/02/02 20:03

オランダでデビューし、K-1のリングへ

ーーそういえばオランダでは何試合くらいされたんですか?

田島洋 「オランダでは数え切れないぐらい試合をしましたよ。練習、試合、体忍でしたから(笑)」

田島剛 「行って1週間でいきなりプロデビューでした。すぐに『お前はイケる、すぐにデビューだ』と言われてオランダの大会に出たんです。」

ーーボクサーだったのにいきなり蹴りありで大丈夫だったのでしょうか?

田島剛 「キックの試合も全く問題なかったです。ボクシングの時からサンドバッグを蹴り込んでましたし、高校生の頃、空手やキックを多少やっていたので。だから一番最初の試合は2RにローキックでKOしました。」

田島洋「1ヶ月ぐらいですぐにプロデビューするんですけど、ヨハン先生はファイティングスピリットを一番重要視していましたね。デビュー戦は技術より圧倒的なファイティングスピリット。そこでお前はピットブルだと先生が気に入ってくれましたね。」

田島剛「1ヶ月に1回、やるときは2週間に1回くらい試合をしてたんですよ。しかも流してる試合はなくて、本当に倒し合いばかりという。主にオランダ、ベルギー、ドイツを主戦場にして30戦くらいやったと思います。試合やるのに怪我が治ってなかったりしてましたよ。」

ーーそんなに試合をしてダメージは大丈夫だったんですか?

田島剛 「パンチはあまり貰わなかったので顔面のダメージは大丈夫でした。ただ、どうしても蹴りはパンチに比べて精度が落ちるため相手の肘や膝を蹴ってしまい、足首とかスネを怪我することがありましたね。でもパンチで倒せることが多かったので、頭のダメージというとスパーリングの方がキツかったです。」

田島洋 「ジムでの練習でホースト先生やビヨンとかSクラスの選手達とやるので、ディフェンスが上手くないとやっていけないんですよ。だからディフェンスが凄く上手くなりました。強い選手とやる利点というのはそこにあって。でも持たなかったらダメージが溜まってしまうので紙一重ではあるんですけど。」

ーーそれだけ試合をしているのに、練習はずっとハードだったんですか?

田島剛 「試合の次の日が休みで、その次の日からまた練習が始まるんです。怪我をしても治しながら練習するんです。日本みたいに気軽に接骨院に行けるわけでもなく、病院も連れて行ってもらえなくて。

2回だけ病院に行って、最初はザクロを食べた時に食中毒になり、夜中に凄い腹痛になりました。その時に初めて病院連れて行ってもらいました。二回目はビアンと練習してた時にミドルキックのミットを構えていたらなぜかハイキックを蹴られたんです。そうしたらハイキックが耳に当たって鼓膜が破れちゃって。

その日夜に寝てたら溺れる夢をみて何か冷たかった。明かりを点けたら枕が血でグショグショになっていて、その時に病院いきましたね。当たり前ですが、怪我はキチンと治した方が良いですね。後で後遺症になるので、怪我をしたままやるのはお勧めできません。」

田島洋「自分は病院には一度も行きませんでした。」

田島剛 「骨折してても病院にいけないんですよ。やっぱキックをミスると骨折することってあるじゃないですか。」

右足の小指が紫色で倍くらいに腫れたことがあったんです。明らかにおかしいだろうと。先生に行っても『大丈夫』と言うんです。それで走ったらやっぱり大丈夫ではなくて、歩けなくなったんです。それで休みはもらったけど、でも病院は行きませんでした。」

ーー他の選手も病院に行かなかったんですか?

田島剛 「海外の選手は自己主張が強くて痛いとかすぐ言うんですけど、日本人は忖度して言わないじゃないですか。『お…押忍…押忍…大丈夫です』みたいな。そうしたらヨハン先生が嬉しくなっちゃったみたいで。サムライ精神だ!みたいな、宮本武蔵の感覚になったんでしょうね。武蔵は泣き言を言わないと。

日本人なら『お…押忍…押忍…』のニュアンスでこれ怪我したなとわかってしまうんですけど、外国人は言葉にしなければ絶対伝わりません(笑)

風邪をひいたら『今日は風邪をひいてるんで……』では『そうか練習がんばれ』で終わってしまうんです。『風邪をひいているんで練習を休みます。』と言わないとダメなんです。自己主張や言いたいことはハッキリ言うという欧米スタイルも学びました。」

ーーオランダの選手というと薬やクラブなどのイメージが強いですが、そういったのも一切なかったのでしょうか?

田島洋 「オランダで遊んだ記憶は全くないですね。あそこは精神と時の部屋なんです。自分を強く律して生きていかないといけない。そうでなければ3日ともたない。先生は選手同士が麻薬の話とかしていたら、それが嫌いで凄く怒ってましたね。酒を飲むことすら一切なかったです。」

ーーその後K-1に出られていますが、どんな経緯だったのでしょうか?

田島剛 「K-1デビューしたのは自分がオランダに行った8ヶ月後だったのかな。前の年の8月にオランダに渡って、次の年の4月にK-1に出ました。K−1デビューは早かったです。オランダで勝ち続けていたので、ビデオを石井館長に送ってもらって、この選手はどうかという話があったみたいですね。」

田島洋 「自分はその半年後くらいに19歳でK−1デビューしました。ヨハン先生は自分たちがオランダに行く前に、『私の元で修行に励めば日本でやる3倍のスピードで強くなる』と言ってましたが、確かに3倍ぐらい練習と試合をしているので、もっともな意見でした(笑)」

ーー印象に残ってる試合は何でしょうか?

田島剛 「一番印象に残ってるのは、オーストラリアGPでのジェイソン・サティー戦ですね。ある日、ヨハン先生からオーストラリアでジェイソンと試合だと言われて、最初オファーが来たときに『誰だそれ』と思ったのですが…。

ある日ホースト先生が『ジェイソンはオーストラリア大会で一番強い王者。ヒッポが倒されただろ』という話をヨハン先生にしていて、ヨハン先生は『ヒッポが倒された試合なんて数試合もないだろ!?』と。それで実際にビデオを見たらジェイソン信長(※当時のリングネーム)に何度も倒されていました。

ヒッポリット先生はK-3王者、当時ミドル級で世界最強、そのヒッポリット先生から数回ダウンを奪うほど強いということで、ジェイソン戦はヒッポの敵討ちということで燃えましたね。

ジェイソンはどちらかと言うとパンチの選手でしたが、パンチの技術では自分が勝っていたのでプレッシャーをかけ、相手が下がるという感じでした。試合は自分がジェイソンのキックに右ストレートのカウンターを合わせる展開で前に出ていましたが、判定で敗れました。『ああ、こういう判定をするわけか。』という感じでした。

判定結果が出るまでやたら時間がかかって、自分は負けた感じがしなかったので、悔しいというか、悲しいというか、これで勝てなきゃどうすれば良いんだよって気持ちで放心状態だったのを覚えています。」

田島剛「強くなるノウハウは分かっているし、日本なら食事や生活面での心配も少ないと思うので、選手達には生き急ぐな、本物の強さを手に入れるには年月をかけ戦績を積みステップアップしていった方がいいと伝えています。才能があるゴロフキンでも世界一の頂きにゆっくりと登っていったと伝えています。 」

田島剛「心技体という言葉がありますが、技は一番楽な練習です。心技体の「体」は体を追い込むので人によっては過酷で嫌かもしれませんね。「心」に関して言えば、心を鍛えるぞと思って鍛えるものではなく、過酷な体力練習や毎日の技術練習を通じて自然に強くなっていくものなので、心を鍛えるのが一番大変です。コツコツと積み重ねる事でしか心は強くなりませんから。

この世界に足を踏み入れたのなら生涯を通して歩み続けたい。宮本武蔵ではありませんが、自分たちは鍛練が仕事みたいなとこがありますから」

田島洋「自分達は幸せなことに20代前半で世界チャンピオンと試合をしてきました。自分達の試合だけではなくボスジムの選手達が経験した全ての試合が、現在の王者達の糧となっています。若いと焦ってしまうものです。真の強さとはとにかく積み重ねていくことでしか見えてこないと今では思います。」

ーーしばらくしてK-1には出場されていませんが、その後はどうされていたのでしょうか?

田島剛 「オランダでの連戦とホースト先生やビヨン・ブレギー達とのスパーリングで首を痛めてしまったのが原因です。ジェイソン戦後、急に視力が悪くなり、頭痛と吐き気が止まらなくて精密検査をしたら、首の骨から髄液が漏れてるみたいなことを言われました。MRI写真には脳挫傷の跡もあると。

首も真っ直ぐになってしまっていて衝撃を吸収し辛くなってたみたいです。このままだと脳のダメージが大きくてマズイことになると言われ、一旦オランダから日本に帰ることになりました。

オランダでの試合は倒されたことは無かったものの、自分の身長よりも10㎝以上大きい相手ともやることが多かったので、ブロックキングをしながら相手の懐に入って行くのでパンチを額で殺して入ることもよくありました。それで首にダメージが溜まって行ったんだと思います。体格的には80キロ台の階級が本来のベストだったので、100キロを超えるヘビー級を相手に戦うのはかなり身体に負荷がかかっていたんだと思います。

10年分の練習を3年でやるプランでしたから、3年で10年分強くなりましたが、10年分のダメージも溜まってたみたいです。

K-1に出る為にヘビー級に上げるのは仕方なかったことですが、自分が育てる選手たちには適正体重で試合を行うことと、連戦はオススメしていません。格闘技はしっかりと身体をケアしながら長く続ければ続けるほど強くなりますから。自分は当時最強のK-1のために全てを賭けてましたから後悔はありませんが、今なら階級が細かく分かれていて最強を目指せるUFCのミドル級あたりに挑戦していたと思います。」

田島洋 「ビヨンは120kgで2m5cmぐらい本当はありましたから、重いんですよ(笑)なんでビヨン逆サバでプロフィール書いてんのってツッコみましたから。」

田島剛 「静養の為、日本に一時帰国してた時に、友人がジムを始めるということで、そこで一緒にやらないかと言われたんです。試合もできない時期だったし、ちょうど良いタイミングだからぜひ一緒にやりましょうと。でも結局そのジムは2年で潰れてしまいました。

簡単に言うと経営破綻です。ジムを作るには大金が必要ですけど、それが居抜きの状態であるので潰すにはもったいない、それでお前がやってくれないかと頼まれて引き受けたのがキッカケです。自分が指導していた会員さんたちはそこに残ると言ってくれてたので、有り難かったです。」

ーーそれは何歳くらいの時だったのでしょうか?

田島剛 「まだ自分が25、26歳だったので若かったですね。首も痛めてましたし、25歳で世界チャンピオンはいますが、25歳でジムを経営するというまだ誰もやった事がないことをやってみたかったというのもあります。名前貸しや雇われ社長ではなく、起業して株式会社としてジムの会長をやることになりました。

せっかくこの世界に足を踏み入れたのだから生涯を通して格闘技や武道を極めたいと思ってましたし、結婚して子供が産まれても、それこそ孫悟空のように毎日修行しながら過ごしたいと思ってましたから、ジムを本気で成功させようと思いました。

ヨハン先生の下で修業しているうちにいつの間にか、『アーネスト・ホーストになりたい』から『ヨハン・ボスになりたい』という憧れに変わってたのも大きいと思います。

毎月200万円赤字だったジムを立て直すのは大変でしたけど、好きなことや得意なことが仕事になったというのも頑張れる要因の一つでした。期を同じくして結婚もしましたし、妻が協力してくれたのも大きかったです。失敗したら家族が路頭に迷うっていう思いで必死だったと思います。毎日が一進一退で試合みたいな緊張感でした。」

田島洋 「ヨハン先生に相談したら速攻でやれと仰ってくださり、ボスジムという名前をありがたいことに頂けました。

オランダのレベルは高かったし、強くなる秘訣も分かっていたので、それを日本にそのまま持ってこれたのが大きかったですね。1年目からアマチュア全日本選手権を制して連覇するようなレベルにもっていけました。その土台があって今の選手達がいるという感じです。今はそこから独自の技や身体の使い方をあみ出し更にレベルが上がって進化しています。」

ーー指導方法もオランダスタイルでやっているのでしょうか?

田島剛 「良いところは活かしますが、最終的には自分たちのやり方を踏まえて選手を育てていかなければダメですね。オランダで自分たちがやってた事と同じことをそのままやるのは難しいと思います。格闘技で生きていける人間かどうか、早い段階で選別することはできますが…。

ヨハン先生は結構無茶な練習をさせたりして、宮本武蔵的な精神修行的な部分を楽しんでいたと思うんです。何でもある恵まれた時代に、あえて無い状況で修業するみたいな。

オランダでの練習スケジュールはハッキリいって効率は悪いです。精神的な部分は別として、あくまでフィジカルや技術面で見れば、あのやり方をしないで、自分たちが今やってることやった方が強くなれます。本当に強くなりたいのなら、鍛えるのと休むのをしっかりメリハリつけてやったほうが圧倒的に良いです。

この前自分がオランダに行った時にも思ったのは、日本でプログラムを組んでる練習をやってる時の方が明らかに伸びも良いし、回復も早いですから。

久しぶりに虎の穴スケジュールでやったら、やっぱり朝の5時からいきなりスパーリングとか始まって。それで夜の8時にまたスパーリングとか、物凄いことになりました。先生もテンションが上がってて、全員からダウンを奪っても、『疲れた』と言わなければ疲れるまでやらせるんです。それで『疲れた』と言うと怒られる。難しいのが宮本武蔵流です(笑)」

田島洋 「先生は弱音を徹底して許さない。当時編み出したちょうど良い方法としては、超疲れる練習をしていても『ちょっとだけ疲れました』このマインドでヨハン先生は怒ることなく満足してくれます。」

田島剛 「1日に何回も何回も練習と休みを繰り返すと、自律神経がおかしくなっちゃうんです。ONとOFFを繰り返して交感神経と副交感神経が何度も切り替わると、人間の体は参っちゃうんで。しっかり練習をやって、しっかり休むという、ON・OFFをしっかり付けた方が良いですよ。その辺を踏まえても、もう自分達がやってたオランダスケジュールではやらないほうが良いです。」

ーーお二人は今もトレーニングされてるんですよね。

田島剛「はい、毎日やってます。練習は週5回で日曜日は完全に休みにし、木曜日か金曜日にもう1回休みを入れる感じです。昼にフィジカルトレーニングをやって、夕方からジムで選手達に混ざりスパーリングや技術練習をやります。それからクラス指導という感じです。」

田島洋 「1日24時間ほとんど武道のことを考えるというのは今も変わらないんですよ。好きなんです。どうすれば己を、選手を、より強くできるのか、本当に楽しいです。競技者をやめてしまうと鍛錬をやめてしまう選手は実に多いと思います。しかし自分たちは競技者時代と変わらぬ練習を今も行っています。」

ーーそれは凄いですね

田島剛 「むしろ経験や知識が増えた分、今の方が良いトレーニングと栄養管理をしていると思います。理にかなった質が高い鍛錬を10年、20年と積むと見えてくる世界や景色が変わってきます。

格闘家の場合、お金のために仕事としてやる面がありますが、武道家は違います。修業が生き方なので、試合があろうとなかろうと変わらず鍛錬を続けるという。鍛錬が好きですし、格闘技の事を考えるのが楽しいので、自分は生涯、宮本武蔵や悟空みたいな武道家でいたいなって思います。」

田島洋 「好きなこと、自信があるものを仕事にできることを喜びに感じ、日々感謝しています。」

田島剛 「会員さん達も強くなりたい方やボディメイク、健康増進やダイエットから入って、結局そういう自分磨きをテーマで来られている方が多いので一致します。

おかげ様で会員数は500人を超えて、そのうち4割は女性会員となります。これは女性格闘家が増えてきたからというものではなく、10年以上前から女性はボディメイクやダイエットのために参加してくれていました。昭和の格闘技のイメージは怖い、キツイ、痛いというものだったと思うのですが、今は違います。

一般の方にも楽しんで学んで貰うためにしっかりとしたコーチング、安全で清潔な設備、楽しさを共有できる仲間、これだけで格闘技は誰もが楽しむことができると思います。

格闘技に興味がある方は是非とも足を運んでみて下さい。お待ちしています。押忍。」

ボスジムジャパン紹介

取材協力: ボスジムジャパン

所在地:東京都港区赤坂8丁目11-19 エクレール乃木坂B1F

田島兄弟がボスジムの内弟子経験を経て、日本で唯一となるボスジムブランドを冠し、東京都港区にオープンしたキックボクシングジム。

古武術のエッセンスを取り入れた既存にはないストライキング技術を指導し、現在UFCで活躍する朱里や、キックボクシング三冠を達成した北斗拳太郎らを輩出している。

クイール編集部 ◯文 text by Queel
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この記事へのコメント()

Yu5vhm2x
大澤 辰郎
2018/02/02 22:48

読みごたえがあって、良かったです。フィリオが具体的に今何してるかわからないので気になります。(後進の指導との情報がありますがイマイチ具体的でない)SNSもわからないし。
フェイトーザやテイシェイラも気になります。今の若いブラジルの子はMMAに流れたのだろうか。
極真のHP見たらブラジル人は元気無い印象。(ロシア人多いかも)
極真が五輪競技の寸止め伝統空手にすりよせ選手派遣?とかの記事も他サイトであったし。(売る覚えだから信じないで)

K-1支えた?極真事情も気になります。。。

Missing avatar
  l
2018/02/03 22:45

面白かった
乃木坂の某タレント事務所の隣にヨハン・ボス・スポーツ…って書いてあって
「これ何だろう?」って思ってたけど、あれ本物のボスジムなんだ!

Trqgj0d4
カルバン
2018/02/03 22:55

めっちゃ読み応えありました。

Missing avatar
1
2018/02/04 03:40

本当に読み応えありました。懐かしい名前もいっぱいで嬉しかったです。ありがとうございました。
ボスさんがもう少し選手の安全面に寄ったトレーニング方法をとっていたらもっとTsuyoshi選手を見られたと思うとちょっと残念ではありますが、当時何が起こっていたか知れてよかったです。

Missing avatar
えび
2018/02/10 23:07

朱里選手や北斗選手が所属ということで気になっていたので大変興味深く読めました。

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