2017年05月12日作成

【あの選手は今何してる?】第1回 K-1 WORLD MAX初代世界王者 アルバート・クラウス

日本格闘技全盛時代に人気を博したK-1ファイターたち。旧K-1が活動休止してからその後どうなったのかはほとんど知られておらず、改めてこのサイトがK-1ファイターの現在を紹介することにしました。初回はK-1 MAX初代世界王者のアルバート・クラウスです。

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立ち技中量級のパイオニア、アルバート・クラウス

かつて世界の立ち技格闘技を牽引していたK-1は2002年に絶頂期を迎えました。

2002年にPRIDEとK-1が協力して開催した「Dynamite!」は9万人以上の観客を動員、K-1はボブ・サップフィーバーが日本中に巻き起こり、GP決勝の視聴率は驚異の28.4%を記録しています。

当時の格闘技と言えばヘビー級で、階級が分かれていたPRIDEですら93kgが下限であるほど、大男たちが戦うのが当たり前の光景でした。

その年に新たに誕生したK-1 WORLD MAXは70kgをリミットに設定。「世界再激戦区」と謳い、また日本人でも世界に戦える舞台ということで魔裟斗や小比類巻が二大エースで押し出されるようになりました。

今でこそ軽量級が格闘技界の中心になりつつありますが、当時としては新しい試みだった70kg級は、絶頂を極めていたK-1の勢いと両日本人エースの因縁が受け入れられ、旗揚げ戦は深夜帯にも関わらず視聴率は13%をマーク。

迎えた第1回の世界大会は魔裟斗、小比類巻の優勝が期待されていましたが、その魔裟斗を準決勝で破ったのが当時無名のオランダ人選手のアルバート・クラウスでした。

バックボーンであるボクシングの技術はK-1でも群を抜いており、魔裟斗を破った勢いそのままに、決勝では優勝候補筆頭のガオランを1RでKOする衝撃的な結末と共に初代世界王者に輝いています。

FEG時代の最後の大会まで出場し続ける

アルバート・クラウスは旧K-1のミドル級においてただ一人、初年度から活動停止を迎える2011年まで出場し続けた選手になりました。

当時未開拓だった70kg級は、K-1 MAXの誕生によって世界的に盛り上がりを見せ、やがてアンディ・サワーやブアカーオ、その後はジョルジオ・ペトロシアンといった新たな才能が次々と台頭してきます。

初代世界王者となったクラウスはその後世界大会で優勝することはありませんでしたが、初期の選手が次々と脱落していく中、K-1ルールへの適応とフィジカル面でのレベルアップにより、最後まで一線で戦い続けました。

日本格闘技が全盛を迎えていた2002年に誕生したMAXは、やがて格闘技人気の停滞と、FEGの財政難により活動がままならなくなり、2011年のK-1 -70kg日本トーナメントを最後に活動を休止します。

名城裕司が優勝したこの大会、実はクラウスは特別枠として日本トーナメントに参戦しています。初年度から最後の大会までMAXで戦い続けた唯一の選手であり、まさしく中量級のパイオニアと呼ぶに相応しい人物と言えます。

武林風トーナメント優勝 (2012年~2013年)

主な戦績:
✕ アブラハム・ロクエニ 2012.04.14
◎ 武林風トーナメント優勝 2013.01.01

クラウスはK-1が活動休止してからしばらくは、イベントを転々としながら試合をこなして行きます。

カタリン・モロサヌがエースの「スーパーコンバット」、スペインの「Born To Fight」、中国の「武林風」、そしてGloryの初回大会にも出場しています。

ビッグネームとの対戦としては、スペインで絶大な人気を誇るアブラハム・ロクエニと敵地で対戦し、3R判定負けを喫しています。

後に中国で人気が沸騰する武林風の70kgトーナメントにも出場し、地元中国の選手から3連続KO勝利を収めて優勝しています。

覇権を握っていた旧K-1が活動休止となり、次の覇権を各団体が伺っていた情勢を象徴するように、クラウスも世界各地を転々としながらコンスタントに試合を重ねていました。

Gloryへの継続参戦 (2013年~2014年)

主な戦績:
◯ ウォーレン・スティーブルマンズ 2013.03.23
✕ アンディ・リスティ 2013.05.03

(出典: https://www.youtube.com/watch?v=tKEvyPmLFW0)

やがてGloryが日本とアメリカを中心に覇権を握るべく、勢力を拡大し始めた頃からクラウスはGloryに定期参戦するようになります。

武林風トーナメント優勝後のGlory5では、K-1 MAXベスト8に輝いたことのあるウォーレン・スティーブルマンズから勝利。

その後、東京で行われたGlory8では当時最も勢いに乗っていたアンディ・リスティと対戦。リスティの膝蹴りの前に2RKO負けを喫しています。

余談として、Wikipediaでは「アゴが弱い」と書かれているクラウスですが、実はこのリスティ戦以降KO負けはしておらず、その前となると2007年K-1のムラット・ディレッキー戦まで遡るように、意外とKO負けが少ない選手でもあります。

ここからGloryで2連敗、前年にトーナメントで優勝した武林風でも1回戦負けしており、キャリアで初めて4連敗を喫しています。

主戦場をクンルンファイトへと移す (2014年〜)

主な戦績:
✕ ゾウ・ジペン 2015.01.31
◯ 横山剛 2015.03.08
✕ 日菜太 2016.08.07

2014年にはGloryから「クンルンファイト」に主戦場を移すことになります。

クンルンファイトは武林風と並ぶ中国の2大プロモーションで、日本からはREBELSの選手や長島☆自演乙☆雄一郎、K-1系でいうとアルトゥール・キシェンコが絶対王者として君臨しています。

クンルンファイトに移ってからの戦績は現在まで意外にも良く、直近は12戦9勝3敗と大きく勝ち越しています。

もっとも30代中盤に差し掛かってきたこともあり肉体的な衰えは隠せず、動きは全盛期と比べると鈍重で、スタミナも落ちているため、ゾウ・ジペンや日菜太といった有力選手には敗れています。

そのゾウ・ジペンとは2015年に敗れているのですが、実はこの選手70kgでありながら昨年には"韓流大巨人"チェ・ホンマンと対戦して勝利するなど、昔のK-1を思わせるようなスーパーファイトにも挑戦しています。

日菜太は既にアンディ・サワーをREBELSの舞台で破っており、続いてクラウスからも完封勝ちしたことで、当時は「非K-1最強」という肩書きを得ていました。

クラウスの直近の試合は昨年9月のクンルンファイト53で、地元中国の選手を左ボディでKOしています。

さて、ここまでがクラウスのキャリアを説明する内容となっていますが、余談としていくつかクラウスのエピソードを紹介していきます。

珍エピソード: 草ムエタイに出場してフルボッコに!?

時期は不明ですが、おそらく2015年か2016年の出来事。

タイに滞在していたクラウスが地元の飲み屋で行われる草ムエタイを観戦していた時、「お客様に戦ってみたい人はいませんか?」と飛び入り参加を促されて登場したのが、なんとアルバート・クラウス!

軽量級のタイ人選手とは20kg近くの体重差があるように感じられ、狭いリングということもあって、開始からわずか20秒ほどで左ボディでKOしてしまいます。

対戦相手もまさか客の中にK-1王者が紛れていて、突然リングに上ってくるとは思ってもいなかったでしょう。

この時のクラウスは飛び入り参加とは思えないほど、強い圧力とキレのある攻撃で圧倒しています。

クラウスの自撮りは番長フレーム!?

クラウスはFacebookページを頻繁に更新しているのですが、なぜか自撮りのほとんどは左下にクラウスが現れます。

(出典: https://www.facebook.com/AlbertTheHurricaneKraus/)

おそらく右手でスマホを持って自撮りするので、決まって左下に映ってしまうのだと思いますが、元横浜DeNAの番長・三浦大輔の番長フレームを彷彿とさせる撮り方です。

ただし本家の番長フレームほど徹底されているわけではなく、自撮りでもたまに右下に登場することがあるので、やはり番長のほうが一枚上といったところでしょうか。

息子のグラードゥス君は未来のチャンピオン?

(出典: https://www.facebook.com/AlbertTheHurricaneKraus/)

K-1の煽りVTRで「息子のためにも負けられない」として登場していた、息子のグラードゥス君ですが、現在もキックボクシングを続けています。

まだ16才ということもあってアマチュアですが、画像の通りタイトルを何本も獲得するなど将来有望な選手のようです。

父親と同じ「ハリケーン」というリングネームをつけており、将来は国際的な舞台でアルバート・クラウスさながらの豪腕を見せてくれるかもしれません。

最後に

「あの人は今」のノリで以前日本で名を馳せた選手の現在を紹介するにあたり、初回はK-1 MAX初代王者ということでアルバート・クラウスを選んでみました。

K-1 MAXで鎬を削ったブアカーオ、ペトロシアンや、ヘビー級ではダニエル・ギタやグーカン・サキなど紹介したい選手はたくさんいるので、またどこかのタイミングで記事にしてみたいと思います。

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