2017年05月24日作成

K-1 MAX誕生のルーツに迫る!大野崇インタビュー前編【今だから話せるマル秘エピソードも!?】

今回はK-1 WORLD MAXに出場していた大野崇さんのインタビューしてきました。K-1 MAX誕生の経緯や今だから話せる驚きのエピソードなど見所満載の内容となっているので、ちょっと長いですがぜひご覧ください!

はじめに

今回はK-1 WORLD MAXに出場していた大野崇さんにインタビューさせていただきました。

なぜ大野さんにお願いしたのかというと、K-1 WORLD MAXの創生時代を知る数少ない人物で、どのような経緯でK-1 MAXが誕生したのか、また当時の熱はどれだけのものがあったのか、当時を振り返ってもらいつつインタビューに答えてもらいました。

K-1 MAXについて

格闘技界は旧K-1、PRIDE、DREAMなどが活動休止してから長い冬の時代を経て、再び新生K-1やRIZINなどによって再び熱が高まりつつありますが、ファンもまた世代交代をして、当時のK-1 MAXについて知らない方も多いかもしれません。

K-1 MAXは2002年に70kgという階級で旗揚げされ、これまでメジャー格闘技ではヘビー級の試合が当たり前だった時代に「世界再激戦区」「日本人でも世界と戦える階級」ということを謳い文句に、 魔裟斗、小比類巻が両エースに据えられて始まっています。

チャラチャラしたビッグマウスの魔裟斗と、ストイックに強さだけを追い求める小比類巻というアングルをTBSが全面に押し出し、テレビ視聴率は24時からの放送にも関わらず13.0%という驚くべき高視聴率を記録。その後、K-1 MAXはヘビー級と並んで立ち技の新しい看板となり、世界中の中量級選手にとって目指すべき舞台となりました。

今回インタビューした大野さんは、正道会館に所属していたこともあって、K-1 MAXが創設される4年前の1998年からK-1に出場しており、MAXの前身である「K-1 J MAX」にも出場。その後、旗揚げ大会にも参戦し、準決勝で小比類巻貴之から惜敗しての第3位となっています。

K-1 MAXが創設されるまでの流れ、MAXの熱狂的な人気、そして今だから話せる「正道会館あるある」についても明かしてくれました。

インタビューはこちら!

ー まず、何歳の時にどのような経緯で格闘技を始めたのでしょうか

高校1年生の時に、大分出身なので正道会館の大分にある臼杵支部で始めたのがスタートです。

元々プロレス好きだったんです。タイガーマスク初代のローリングソバットとか格好いいじゃないですか。UWFとかも好きで、同じプロレスファンだった友達に誘われて始めたというのがスタートになります。僕が74年生まれで、15歳の時だから1989年あたりです。

ー K-1が始まる前のことですね

僕が大学1年の時にK-1が始まったんですが、当日券買って見に行きましたね。

ー おお、あのブランコ・シカティックの!当時誰が優勝すると思われていたんですか? 

当時は全然情報がないじゃないですか。そのとき僕は正道会館の東京支部に移籍していたので、佐竹先輩が優勝するだろうと思ってましたね。

ー 当時ピーター・アーツとかモーリス・スミスは知られていたのでしょうか?

アーツは確か佐竹先輩と空手の大会でキックマッチをやって引き分けたことがあるんです。アーツは怪童なんて呼ばれていたから決勝はアーツvs佐竹で佐竹先輩が絶対勝つだろうと思っていたんです。でも1回戦でそのアーツがアーネスト・ホーストに負けてしまった。それで2回戦に対戦するモーリス・スミスも強いと話題になっていたのですが、そのモーリスがホーストに凄く久々にKOされてしまった。

アーツ、モーリスに勝ってこれはもうホーストが優勝するに違いないと思ったら、ブランコにKOされて。一番パッと見で冴えない一番弱そうな感じのオッチャンが優勝して、うわーすげえなと思いましたね。

ー その後キックボクシングに転向するまでの経緯はどうだったんでしょう?

普通にずっと空手をやっていて。大学生の1・2年の頃は真面目に学校に通っていて、練習も週に1回くらいでした。

もともと地方支部って公民館を借りてやってるから週に2回くらいしかできなくて、毎日練習するという発想がなかったんです。それで大学3年生になって道場の人が「もっと練習に来なよ」と言ってきて、「毎日来て良いんですか?」って聞いたら全然問題ないと。僕の中で空手でチャンピオンになるのが先だと思ってましたね。

プロでやっていた選手でいうと、佐竹先輩とか金先輩なんかは空手でチャンピオンになってからキックボクシングの試合に出ていたから、空手でチャンピオンになればプロになれるんだろうと思っていたので、空手をスゴく一生懸命やってたんです。

そうしたら東京道場に大江慎さんが職員かアルバイトか分からないんですけど、入ってきて、Uインターのタイ人のトレーナーのゴーンさんもいて、大江さんと仲の良い人達がプロの練習会に時間決めて練習していたので、「ちょっと僕も参加していいですか?」と。

そこで参加させてもらったのが一番のキッカケです。

ー 正道会館ではグローブ付けての空手とは別だったのですか?

当時キックボクシング王者の島三雄先生が指導に来られていて、グローブ付けての練習は週に1回くらいはやっていました。

再延長で体重差が10kg以内だとグローブを付けての再々延長だったので、多少はみんな練習しましょうということで、週に1回のクラスで練習していました。島先生のクラスに出ていた人と仲良くなって、その人が大江さんと仲良くて、先ほどのキックボクシングの練習会に参加させてもらったんです。

当時5人くらいでスタートして、その時にK-1ジャパンGPに出場していたマンモス鈴木とか、武田幸三さんもいました。武田さんは「イカついな〜」と思っていて、当時から今みたいなオーラを出していました。

ー 武田さんはヘビー級目指していたと聞いたことがあります

当時はもっと大きかったです。首相撲の練習をしていて、首を捕まえていても「フンッ」って首を持ち上げられたら、吹っ飛ばされてましたね(笑)

ー そういえば大野さんは当時ヘビー級を目指されていたんですか?

昔はそうでしたよ。ただそんなに体重増えなかったんですよね。今みたいな科学的なことは何も知らず、器具を使ったら筋肉がかたくなるって聞いことがあって、ウエイトトレーニングもやってませんでした。それじゃ体重増えないですよね。

ー アンディ・フグとのスパーリングもされていましたが、K-1に出場するためだったのでしょうか?

あの頃はもうキックは始めていました。もともとアンディは大阪正道会館にいて、その時にはK-1王者になっていたんですけど、東京にも来ることがあって練習させてもらいました。

細かい時系列は忘れたんですけど、確か前田憲作さんが練習場所がないからといって東京道場で練習していて、前田さん、コヒ、僕もそこで一緒にやることに。大江さんがその頃にはやめちゃってたんです。最初の練習会がなくなったころに前田さんが来るようになって、アンディも東京に来るようになったのかな?

アンディは当時東京での仕事が多くて、東京に拠点移すことになって、東京でアンディクラスが始まって。東京でグローブ有りのキックボクシングに興味ある人は参加してみたら、ということで参加させてもらいました。

当時僕はもうK-1ヘビー級は無理だなと分かっていたので、K2グランプリとか中軽量級のワンマッチ大会とかがあって、金先輩のような形での出場を目指そうと思っていました。

それにはまずキックで王者になるために場数踏まないといけないなと思っていて、他団体で試合をしたいと思ってお願いしたんですけど、出られなかったこともありました。外で試合をするというのが難しかったんです。

ー 98年からK-1に出られてましたよね

当時は他団体で試合をするのは難しくて、「K-1の前座でやらせるから頑張れ」ということで経験を積ませてもらいました。

ー 当時、70kgの構想はあったんですか?

なかったと思いますよ。魔裟斗くんの存在が大きかったと思います。実験的にK-1 J MAXをやったんじゃないでしょうか。

ー 大野さんは伊藤隆さんと試合をしています

あの試合は大変だったんですよ。

最初はイワン・ヒポリットと80kg契約でやらせるから、そのために体を作れと。その時は一生懸命ガンガンウエイトやってミルコ・クロコップみたいな体作ったんです。そしたら一ヶ月とか3週間くらい前に「69kgで伊藤くんとやるから」ってなって。ええーーって。

脂肪とかほとんどなかったんですけど。「やるから」って言われたら「押忍」しかないので。あーあ、どうしようかなって。

当時全然知識がないからほぼ絶食に近い状態を一ヶ月近くやって、ヘロヘロで控室に入ってドクターチェックに行ったら、ドクターが僕の顔を見て「あーやっちゃったねって」(笑)

これから試合をする選手に向かって、「あーやっちゃったね」って。湊谷コーチに対して「危なくなったらすぐ止めますから」とドクターが言って、わかりました、と。

(対戦した)伊藤さんは凄く上手かったです。穴がなく攻撃をまとめるのが上手い。

ー 魔裟斗さんがムラッド・サリをKOしたのは覚えてますか?

もちろん覚えてます。ムラッド・サリが強いという前評判で、それをKOしたから凄いなと思いました。その前から(魔裟斗は)ワンマッチでK-1で試合をしていたので、そのうちK-1でも中量級やるのかなとはうっすら思いました。

僕も海外で試合をさせてもらって、その時に事務局の人から「タイトルマッチやらせるから頑張って取って、今後につなげるように」みたいに言われたんです。

今後そういう方面のこと(※後のK-1 MAX)をやるかもしれないから、っていうのはチラ聞きはしていたので。

ー その後は新田さんとの対戦などもあって、K-1 MAXができると

新田さんとは全日本キックとK-1のトーナメントで2回やりましたね。

ー 改めてK-1 MAXの旗揚げ戦を見たんですけど、すごい熱だなと。視聴率も24時からなのに13%取っていました。

その記事見ました。LiveSportsでw。占有率が凄く高かったんですよね。

ー 40%前後だったとか。テレビをつけていた人の半分近くがMAXを見ていたことになりますが、その熱は感じてましたか?

スゴイ盛り上がりだなとは感じましたね。

単純に後からビデオで客観的に見ても面白かったですよ。一人ひとりに個性があって。

会場が盛り上がると選手も盛り上がるということもあったんです。当時は一般の客さんよりも、選手の知り合いや、応援団だったりとか、もともと選手を好きな人だったりとかが多かったと思います。後期に盛り上がっていたK-1は一見さんも多かったんですけど、当時はそんな感じじゃなかった。

それに僕、新田さんとの試合なんて大ブーイングでしたからね。「おいおいおい、ここでもか」って。ちょっと面白かったです。ブーイングに笑いましたから。

ー 1回戦はハイキックでKOしましたが、あの時以上の盛り上がりは経験されたことありますか?

僕はないですね。全体の熱量とか考えて、あの時が一番かなと。他の選手とかも結構そうなんじゃないんですかね。異常でしたもん。

ー 日本の会場とは思えないくらいでした

一種のトランス状態じゃないですか。全試合面白かったですしね。

ー 第1試合の須藤選手から凄かったです

あれで熱のスイッチが入った気がしますね。

格闘技の試合って前の試合に結構影響されるんです。1試合目が盛り上がったりすると「俺も負けてられないな」と思うので。

ー 当時は良い試合をしないと生き残れないというのがあったのですか?

ありました。それは絶対大きいです。
これで変な試合したらなくなるなって思ったんで。大会自体が。

ー 自分が呼ばれないというよりも大会自体が!

これで頑張らないと大会が一回でなくなるんじゃないのかと。これまでKリーグとかK2とかが立ち消えになっていくのを見てきたので。

ー これからずっと続いていくという前提があるわけじゃなかったんですね!

上の方はわかりませんが、僕はなかったです。とりあえずやろうかっていう雰囲気だったんで。当時は「Kリーグ」もリーグというからには続けていくんだろうと思ったんですけど、なくなっちゃいました。

僕ら選手ができることなんていえば、とりあえず盛り上げる試合をして、「ここを守らないといけない」ということでしたから。

みんな割とそれはあったと思います。そういう意識もあったし、ここで成り上がるっていう意識もあったので。

ー 旗揚げ戦の代々木第二体育館の熱は凄かったです

「盛り上がりが盛り上がり」を呼ぶみたいな。

代々木第二だからというのもあったんじゃないですか。程良い大きさで角度的にも見やすい。周りの反応も選手から全て見えるので。

ー 当時「ZONE」というTBSの番組で魔裟斗と小比類巻が犬猿の仲というのがあって、それで視聴率にもつながったのでしょうか

事前の煽りとかも凄くやっていましたね。

ー 世間の知名度はあまりなかったのに、いきなり高視聴率という要因は感じられましたか?

僕はその辺りは全然分からないんですけど、TBSの方とかもスゴイ取り上げてくださったので、演出側も含めて「みんなでこれを成功させよう」というのがあったと思います。

それが上手くハマったという形なんですかね。

ー1回戦に新田さんからKOして、2回戦の小比類巻戦は微妙なダウンで負けてしまった。なければ勝っていたかも、というのはありましたか?

そうですね。僕もそうは思っていて、その時にはアピールしたんですけど、ルール上はダウンでも仕方ないんです。攻撃が当たって足の裏以外がついたらダウンですから。

僕も足の裏以外の膝がポンとついて。要はどう取るかということです。足払いで倒れてもダウンにならないけど、それまでの布石でダメージがあったから島田レフェリーがダウン取ったんだと思います。

ー そこはもったいないという思いがあるのか、やりきったという思いがあるのか

やっぱり当時はダウンじゃないよ、と思ってましたね。

そういえば僕はあの試合、絶対ハイキックが来ると思っていたんです。まさかあんなにローキック一辺倒で来るとはって。

ー 小比類巻選手は当時黒崎道場でスタイルを変えていたそうですね

黒崎先生にローキックで攻めろと言われていたみたいですね。

あとでZONEか何かの後番組でやっていたんですよね。黒崎先生が小比類巻にローキック一本で行けと授けていたんでしたっけ。俺にも言ってくれ、教えてくれと(笑)

それ分かっていたら一生懸命カットしていたのに。そこ捨ててたんですよ。

ー それでカットしてなかったんですね

絶対右ハイキックが来ると思っていたので。カットして意識が下に行ったところで上を狙ってくるんじゃないのかと。ローキックのダメージは捨ててその前にパンチで倒しに行こうとしていました。

その前にちょっと練習を一緒にしていて、スパーをやった時に「コヒのローって痛いよね」とか言った覚えがあるんです。

「あっ」て思いました(笑)。こいつ本当にローキックばかり打ってきたなと。

ー レガース越しで痛かったんですね

確かそんなことを話した覚えがあるんです。なんか骨が固いんですかね。コンって当たっても痛いんです。

ー 決勝で魔裟斗さんとやるイメージは?

僕はなかったですね。

図式としては「魔裟斗vs7人の選手」だったので、舞台的に魔裟斗を絶対倒すというはあったんですけど、始まったら目の前の試合しか考えていないです。一回戦なら一回戦、二回戦なら二回戦と。

ー 準決勝終わったあとに湊谷コーチが「コヒ絶対勝てよ」と。そして小比類巻さんがロープ上げて出口を作ってました

小比類巻が大阪に練習していて、湊谷コーチも練習見ていたりしていたこともあって、普通の選手というよりも、もう少し近い関係でした。

僕が負けたから勝てよと。当時一緒の練習仲間だったので、自然とロープを上げてくれたんじゃないですかね。

ー その後にはイルマッツやクラウスといった強敵と対戦しているイメージが強いですが…

僕は中の人(※正道会館)なので、中の人は無茶させられるんですよ。海外から強そうなやつがプロモーターが売りこんでくると、とりあえず大野にやらせとけと(笑)。

藤原組長と同じですよ。アントニオ猪木がやる前に藤原組長がやって、行けると思ったらアントニオ猪木がやるっていう。

割りとこう、実験じゃないですけど、ノーデータの相手で凄く強いという。ムエタイ王者ともやりました。初めてのタイ人がいきなりチャンピオンですから。普通はタイ人とやるなら、段階を踏んで徐々に強い相手と対戦して最後に王者と、ってなるんじゃないのかと僕は思っていたんですけど。

初っ端からいきなりチャンピオンと組んでもらって、「いきなりやるんかい」って。次のタイ人も現在HIROYAくんのトライハードジムでトレーナーやってるノッパデーソンと。
彼も王者ですからね。

他にも延長なしって言われたのにいきなり延長始まるとか。

ー ええ!?

ちょっと面白かったですよ。僕はもうドローで終わったと思って戻る気だったんですけど、「中央へ」と言われて何かおかしいなーと思ったんです。その後ジャッジの判定後、いきなり「エキストララウンド」ってコールがあって、え?って。

前日のルールミーティングでも聞いてるんです。延長ないですよね?って聞いて、ないですって。

終わった後に相手のコーナーで次のラウンドがありそうな仕草をしてたんです。何かおかしいなと思ったら「エキストララウンド」ってコールがあったんですが、コーチも「向こうみろ、焦っているだろう」って。「いや向こうは違うんじゃないかな・・・」と思いました(笑)

ー そういえばアルバート・クラウス戦で特に感じたんですけど、当時のMAXはグローブが薄くてこれで大丈夫か?と思いました

痛いですよー。今で言うMMAのグローブみたいな感じですね。痛かったですよ、やっぱり。

ー 試合中もですか?

"痛っ"てなります。
効いたというよりも、本当に石で殴られているみたいな感覚でした。まあ石で殴られたことないんですけど(笑)

ー 中でもクラウスのパンチは違いました?

違いますね、やっぱり。
ゴツゴツっていう。あの試合は本当に良いところなしで負けましたね。

ー K-1 MAXで一番印象的だった試合は何でしょう?

一番印象的だったのは、色々あるけどやっぱり旗揚げ戦の小比類巻戦ですかね。

実は一番衝撃的だったのはイルマッツなんですけどね。これ今だから言いますけど。

(※セルカン・イルマッツのこと。「トルコの鳥人」と呼ばれ、バックスピンキックなど回転系の攻撃が多い変則ファイター)

イルマッツは確かアマチュアムエタイ王者という肩書きだったんですけど、この試合も2週間くらい前に急にイルマッツに変わったんです。最初は確かなかなか強い長身選手だったんですけど、「相手変わったから」って谷川さんに言われて。

どんな選手かと聞いたら「うん。典型的なムエタイスタイル!」(谷川さんの口調で)って言われて。「アマチュアムエタイ王者だから典型的なムエタイスタイル!」ということらしいです。

僕は首相撲が苦手で、ムエタイスタイルの相手だから、控室とかでも首相撲に持ち込まれても、それを外す練習をずっとしていて。その対策をずっとしていたんですけど、始まったらいきなりギュンって回りだして。

本当に「・・・?」って吹き出しが出るような感じで、あれムエタイってこんな感じだったっけ?ってなりました(笑)

(セルカン・イルマッツとの試合はこちら↓)

ー 1試合も見ていなかったんですね

ないです。当時は今みたいにネットも普及していなくて、ビデオテープの時代ですから。

ー 主催者から用意されることもないんですね

イルマッツはオーストラリアの有名なプロモーターが抱えている選手で、K-1に売り出したいからということで急遽参戦したんです。

あれはもうビックリしましたよ。情報ないどころか違う情報入れられてますからね。典型的なムエタイスタイルって(笑) 僕はもう後ろ足重心のムエタイ選手が来るのかと思って、試合始まったら何か構え違うぞって。

ー K-1の後はシュートボクシングに主戦場移されていますけど、契約上の都合はあったのでしょうか?

いや、特にないです。K-1も世代交代していて、なかなか出してもらえないので「どこかで試合をしたいです」ってお願いして、それでシュートボクシングからたまたま話が来たと。

当時は全然独占契約とかではなかったので、話があったらどこでもでますよというスタンスだったんです。

ー 継続参戦されていましたが、シュートボクシングの練習はしていたんですか?

いや、特別な対策はしてなかったです。首相撲の練習はしていましたけど。

僕としてはこう言っては失礼ですけど、シュートボクシングでどうしてもトップになりたいというわけではなく、やっぱりK-1にまた出たいというのがありましたので。コーチも言っていたんですけど、投げられて負けたらそれはしょうがないからって。どうしてもシュートボクシングで王者になりたいわけではないからというのがあったので。

ただタイトルマッチやらせてくれって言いましたけどね(笑) とりあえずやれるならやらせてくれというスタンスではいました。

ー 緒方さん、宍戸さん、菊池さんといったシュートボクシングの猛者と対戦されていて、K-1と違うと感じた部分は何でしょう?

まあシュートボクシングのホームで、その大元であるシーザージムの選手なので判定だったら厳しいなというのは思ってました。

正直判定で勝ったなと思っても負けだったり、ダウン取ったと思ってもスリップだったりとか。まあホームだから難しいですよね。

ー 蹴りでポイントを取りに行くという選択肢もあったなかで、やっぱりKO取らないといけないと

KOでなくてもハッキリしたダウン取らないと勝てないな、というのは割りとありましたね。倒さないと勝てないと。アウェーというのはやっぱりどの団体でもありますし、それは仕方ないことですね。

ー その状況で実力は出し切れましたか?

コンディション次第ですけどね。何でもスポーツならアウェーは不利になっちゃいます。シュートボクシングは今更言うのもあれですけど、難しいですね。

こちらが良いタイミングなのに、投げに入られたりとか。流れを切られちゃうんです。シュートボクシングの選手って慣れてるからその辺本当に上手いんです。流れが悪くなったら投げに入って流れを切ったりとか。

後でSBの選手に教えてもらったんですけど、ヤバイと思ったら投げるフリをして流れを切ってリセットしたりと言った細かい技術もあるらしいです。

ー その後K-1には出場することはできませんでした

K-1には出られなかったですね。K-1は世代交代もあって新しい選手もどんどん出てきたというのもあって。

ー 2009年にNJKFと健太選手と引退をされています。K-1と戻れないというのが影響しましたか?

自分の実力と状況を考えて、まあ今のK-1の状況的に戻るのは無理だろうというのもありましたし。体調とか年齢的にもうそろそろ無理だろうというのもうっすらとあって、このままフェードアウトするのもアリかなと思ってました。

最初はTATSUJIと健太くんが試合をする予定だったんですけど、TATSUJIが怪我で欠場になり、僕に代役でオファーが来たのでここでちゃんと試合して一区切りつけようとも思ってやらせてもらったという感じです。

ー 引退試合には武蔵さんなど多くの人が駆けつけてくれました

みんな来てくれましたね。新田さんやシーザージムの方々も来てくれました。
本当に感謝しています。

ーどんな心境でしたか?

試合をする時には普通なんですけど、終わって一区切りつけようかと思って言った瞬間にブワッと来ましたね。寂しいという思い、これで終わりかという。

まあその後、実は試合してるんですけどねw。

ー 2013年に一度試合をされています

2009年の引退試合のときには一番お世話になった人の前で試合ができなかったんですよね。

キャリアの後半はトレーナー呼んでくれたり、練習環境整えてくれる兄貴分みたいな人がいて、その方がunit-kプロモーションというところで、鈴木悟とか行き場に困ってる選手たちに「俺が面倒見るから練習しろよ」といってくれたんです。

それで、健太くんとの引退試合も3週間くらい前に決まった話で、その方が試合の日に来れないという事情があって、そこだけが心残りだったんです。一番お世話になっている方の前で試合をすることができなかったので。

その人は広島の方で中村カズくんとも幼馴染で、「イベントやるならうちの選手出そうか」ということになって。鈴木悟とヤン・カシューバと篠原基宏というシュートボクシングに出ていた3人がいて、3人出る予定だったんですよ。

ただ3人のうちヤンが肋骨痛いから出られないと言い出して、鈴木が引退か怪我か忘れましたが出られないとなって、篠原も怪我していて出れないと。3人とも穴が空いてたので、「何とかならないか?」という形で。

さすがに3つ穴明けるのがマズいし、お世話になってる方だったし、その人の前でキッチリ試合をしたいということで、また急遽3週間前くらいに出ことになったんですよね。

ー オファーは絶対に断らないタイプなのでしょうか?

基本、空手の世界は「押忍」なんで断ることはないですね。条件反射で押忍って言っちゃうんです。

空手家として普段からいつでも戦えるようにしておけと館長が言われてましたから。

ー それが厳しい相手と戦ってきた裏付けなのでしょうか

K-1に関しては断る余地も、断る気もないので。よほど変な条件とか怪我してるとかでなければ、頂いた話は大体受けますね。

そういえば対戦相手が勝手に変わってる時もありましたね(笑)
あと自分の試合が人からのメールで知るっていうのもあって。「お前の名前ホームページ出てるよ」って言われて、えっ!?って。

そういうのは結構有りますね。これは「正道会館あるある」ですよ。

ー 現役時代を振り返って一番強く思っていることはなんでしょう?

なんだかんだ楽しかったですよ。

他の人もそうだと思いますけど、格闘技やってたというのは自分が一番楽しいからというのが大きいですね。あんな楽しい経験は他にできないなと。楽しい、面白い、そういうのが大きいですね。

ー K-1についてはどうでしょうか?

自分が憧れていた舞台、選手やっているときですら憧れていて。
観客として会場にいった時も、あの渦の中に入れたらという思いがありましたね。

ー 当時のK-1は凄い熱狂でした

あの時は月に1回は必ずやってましたよね。あの中に身を置けたのは物凄く光栄で、今振り返ってみても楽しかったですね。

ー 他の競技にも負けないくらいの熱だったと思います

今考えるとスゴイですよね。ドームツアーなんてやってましたからね。放送といえばゴールデンタイムでしたし。

ー 歩いていて声をかけられるとかはありましたか?

僕はそこまでなかったですね。

たまにはあって、アパレルショップに友達と行って帰ろうとした時に、店員が走ってきて「すいません!」と言ってきて、何か持ってきたかと焦ってたら「あ、テレビでみました!」って言われてドキッとしたことがありましたね。

あとは松屋でご飯食べている時にも言われて、ここはちょっと見逃して下さいって言う時もありましたw。

ー K-1ファイターはアイドルのような存在でした

選手じゃなく一ファンとして見ても面白かったですよ。

ー 当時はジャパンGPが20%近い高視聴率取るなど、今考えると物凄いものがありましたね

僕が言うのも何ですが、ジャパンがレベルが高かったというわけではなくのかというとそうではない。見せ方次第なのかなと思いましたね。館長よく仰っていましたけど、ジャパンが一番視聴率良かったみたいですね。

ほとんど知ってる選手ばかりだったので、「怪我しないでね」という感じで見ていました。武蔵さんがやられたときなんか大丈夫か、大丈夫かって。

ー 武蔵さんとも練習されていたんですか?

大阪行った時にはよくやらせてもらったり、東京に来られたときもたまに練習してもらっていましたね。

ー 2003年、2004年は世界のトップ選手の一人でした

今考えるとスゴイですよね。

ー 考えられないです。セフォーやアーツにも普通に勝ってました。

今考えると、日本人が勝つなんて絶対ムリでしょって思いますよね。勝ってるのにドローにされるみたいなこともあったなかでスゴイです。

ー 今改めて評価される向きもありますが、当時からやはり際立っていましたか?

今あらためて凄いなと思いますけど、当時から凄かったですよ。一般的に軽い階級だとスピードが早い、重い階級だと動きが遅いってありますけど、逆なんですよ。早いし当たらないし技術もあるしで。

ただ攻撃はそんなに効かないという。
僕らと比べれば十分強いですけど、アンディとか他のヘビー級の選手に比べるとですけどね。

ー 最後は武蔵さんの話になってしまいましたが、「K-1 MAX編」のインタビューはこちらで終了になります。ありがとうございました。

近日、後編を公開

1万字を超える長文のインタビューとなっておりますが、最後までお読みいただきありがとうございます。

記事を書いている私自身もあっと驚くようなエピソードがたくさん出てきて、とても楽しくインタビューさせて頂きました。

後編では大野さんの引退後のセカンドキャリアや、格闘技経験をどのように活かしているかなど聞いてみました。後編は近日公開予定です!

※今回の取材はOGRtokyoさんで行わせて頂きました。ご協力いただきありがとうございました。

後編はこちら↓↓

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