2017年07月07日更新

UFC殿堂入りを果たした桜庭和志がUFCトーナメントで優勝したときの舞台裏を、対戦相手のマーカス・コナンが語る

日本人として初めてUFC殿堂入りを果たした桜庭和志の記念式典が7月7日に行われています。そんな折、桜庭がUFCに一夜だけ参戦した日に、時代に翻弄されたマーカス・コナンのインタビューが海外メディアで公開されています。MMA未開拓時代のUFCジャパンの舞台裏について赤裸々に語られています。

桜庭和志が伝説を作った日の舞台裏

世界に名を知られるMMAレジェンドの桜庭和志ですが、日本時間6月4日にUFCから殿堂入りを果たしたことが発表され、7月7日に殿堂入りの式典が行われています。

桜庭がUFCで試合をしたのは一夜のみ、1997年に開催されたUFCジャパンのヘビー級トーナメントで優勝したのが唯一の参戦となっています。

今と比べると競技がまだまだ整備されていない時代背景もあり、このトーナメントでは奇妙な形で桜庭が優勝しています。

というのも桜庭は一回戦で柔術の猛者であるマーカス・コナンから一度はKO負けを喫するも、その後に抗議が認められてノーコンテストとなり、さらに別のブロックから決勝に上がってくるはずだったタンク・アボットが拳の怪我で辞退したために、決勝で1回戦と全く同じ顔合わせが実現するという事態になりました。

そして決勝で桜庭がコナンから腕ひしぎ十字固めで一本勝利を収めて優勝。今なお語り継がれる「プロレスラーは本当は強いんです」という発言は当時のMMAシーンを象徴する言葉となっています。

MMA大手メディアのMMA Fightingがこの度、桜庭が殿堂入りを果たすこのメモリアルなタイミングで、UFCジャパンで桜庭と対戦したマーカス・コナンに対しインタビューを行い、その時の舞台裏が赤裸々に語られているので、今回はその内容を紹介していきます。

UFCジャパンで起きたこと、レフェリーとの仲、そして桜庭との再会について

1997年UFCジャパンのヘビー級トーナメントは4人制で開催され「タンク・アボットvs安生洋二」「桜庭和志vsマーカス・コナン」が一回戦で行われ、タンク・アボットが判定勝利、マーカス・コナンが一度はパンチの連打でKO勝利を収めました。

しかし桜庭はコナンのパンチを防いだ後にタックルに入っており、それをダウンと取られたのかストップという裁定に猛抗議。それを受けて誤審が認められてノーコンテストという裁定になっています。

私は一回戦に勝って、プレッシャーを感じながらロッカールームで待機していました。

それはデリケートなシチュエーションだったと思います。なぜなら安生がタンク・アボットに敗れてしまい、日本人選手が何としても勝ち上がる状況を作るために、何かが操作されていたのだと考えています。

私は初戦に勝った後、ハメられたと思いました。

誰かが部屋に入ってきてこういったのです。「あなたは桜庭ともう一度戦わなくてはならない。あの試合はノーコンテンストになった」と。これにより私は再び桜庭と試合をしなくてはならなくなったのです。

彼らはそれ以上何かを言うことはありませんでしたが、とにかく私にもう一度試合をさせようとしたのです。

私にはただ彼とまた試合をする以外に取りうる手段がありませんでした。もし彼との対戦を断れば、何かが起こると感じたのです。ロッカーの外にいる人々に脅されているような気がしました。

議論する余地もなく再び試合をすることが課せられました。

私は戻らないぞと言ったのですが、彼らは私にプレッシャーを掛けてきました。私には他の手段はなく、試合をするだけでした。恐れていたわけではないのですが、異国の地で言語も何も分からず、舞台が操作されていることだけが分かりました。

私にとって試合に勝つか負けるかはどうでも良くなってしまいました。

私はただ早くホテルに戻って、バッグに荷物を詰めて帰りたかった。もう試合には集中できずに、早く立ち去ることだけを考えていました。

レフェリーが試合を早く止めたということですが、同じ日に全く同じ相手と戦うなんて、クレイジーだし普通のことではありません。

もし私が桜庭を初戦で完全にKOしていたとしても、同じ状況になっていたように感じます。彼らはただ日本人が試合に勝つことを求めていたのです。

私は桜庭自身に対して何か思うことはありません。むしろ私は彼のファンです。

あの後、彼は素晴らしいアスリートであることを証明しました。彼がUFCの殿堂入りを果たして私はとても嬉しく思います。それでも戦績に記された事実とは異なり、私は初戦で勝利したと思っています。ただ別の手段でそれを上書きすることはできません。

あの時のMMAはワイルド・ウェスト(※アメリカ西部開拓時代)でした。そこには法律もなく、文字通り敵のテリトリーにいるので、他に何をすることもできませんでした。

試合結果が全てではなく、自分で自分を守れるかどうかが重要だと感じました。

マーカス・コナンは現在アメリカントップチームのヘッドコーチを務めており、桜庭との試合を裁いたジョン・マッカーシーとも頻繁に会う仲だそうです。

あれから私たちは友人だよ。ジョンは私に会う度に何回も謝ってくるんだ(笑)

私は彼にこう言いました。「何も謝ることはないよ。あれは君のミスではない。」 彼はあの状況を解釈して、正しいと思ったことを行っただけです。

私たちはお互いのことをいつも見ているし、私は彼を尊敬しています。彼は素晴らしいレフェリーです。彼は経験豊富で、この競技の発展にも貢献しています。レフェリーとしてではなく、人間としても尊敬しているし、ファンでもあります。

アメリカントップチームに所属するキング・モーが2015年末のRIZINに参戦した時に、マーカス・コナンも同行して来日しており、その時に桜庭とも再会してインスタグラムに次のような投稿を残しています。

「約20年ぶりの再会です。グレート・ガイ!」

彼は私の事だと分からなかったみたいだよ(笑)

私は彼にハグをしました。短い人生、恨みっこなしだよ。

When I was told about being inducted into the UFC Hall of Fame, my first reaction was surprise. I stepped into the Octagon 20 years ago at UFC’s Ultimate Japan tournament and I never could have dreamed at that time that one day I would be invited to join the other legends in the Hall of Fame. That was an important fight for me as it was my very first entry into MMA fighting. I continued to fight on a square battlefield – a white canvas mat surrounded by ropes – and you could say that is where I built my career, but it has always been my mission, not only to become the best, but to show the world the excitement and glory of MMA. I gave everything I could in the gym, to perfect myself and my technique, so that I could give the fans spectacle they deserved. With that belief in my heart, that it was my purpose in life, I’ve never stopped pushing the limits of what I can do. In the process, if I’ve somehow influenced the sport of MMA, it was never in my power to do it alone. I couldn’t have achieved anything without my esteemed opponents with whom I fought the fiercest of battles, without the staff who make the events happen, without the media who tell our stories, and, most importantly, without the support of the amazing fans. It is my wish to share this honor with everyone in the Japanese martial arts world that, through PRIDE, helped establish a new era in fighting sport. Kazushi Sakuraba 今回の知らせを聞いて、とても驚いています。 ぼくがUFCのオクタゴンに足を踏み入れたのは、20年前に行われた日本大会のただ一度だけです。そんなぼくがUFCの殿堂入りを果たすとは考えもしませんでした。 たしかにMMAのデビュー戦と言えるのはオクタゴンのあの試合でした。ただ、その後のぼくの主戦場は四角いリングです。ぼくのキャリアのほとんどは、ロープに囲まれた白いマットの上で形作られたと言っていいでしょう。 強さを追い求めるだけではなく、MMAの面白さを世間に伝える。 お客さんに喜んでもらうために、とことん練習して自分を高める。 そんな使命感を胸にこれまで頑張ってきました。 その過程でMMAというジャンルになんらかの影響を与えることができたとしたら、それは決してぼくひとりの力ではありません。リング上で激戦を繰り広げた対戦相手はもちろんのこと、イベントスタッフ、メディア、なによりファンの方々の支えがあってのことです。 この名誉を、PRIDEで共に一時代を築いた日本の格闘技界すべての人たちと分かち合いたいと思います。 桜庭和志

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